第6話:雪女、交通事故にあうの巻
1985年の正月があけ、また、仕事がはじまった。ところが、十日町では、例の雪女さんが、急に、来なくなってしまった。
居場所もわからず、数週間が過ぎた。スナックに、
久しぶりに顔を出したが、彼女はいない。
スナックのママに聞くと、何か、事故にあって、休んでいる様子だった。
気にせずに、通常通りの仕事を、せっせとこなす北島であった。
1月の末、まさに、厳寒期、十日町の病院を仕事をしてる時に、
廊下を、あの女が松葉杖をついて、歩いているではないか。
声をかけることもなく、軽く、会釈するだけであった。
年末に、スリップしてきた車が、ぶつかったとの事であった。
全治1ヶ月、で、膝のなおりが、良くないらしい。
自宅に帰っても、1人なので、長期入院となった様である。
厳寒期の新潟の峠道は、凍結の心配があり、今年は特に、寒かった。
そのため十日町から、六日町までの移動は、
発荷峠を通らずに、遠回して移動した。
振り返ってみれば、歓迎の時に、山下先輩が、言った事。
「ここは、都会みたいに、甘くないぞ。冬になれば、良くわかるはずだ」
の意味が、身にしみる、北島であった。
3月になり、また、例のスナックへ、顔を出すとあの女がいた。
うれしそうに、こっちを見ていた。
隣に座り、事の顛末を話してくれた。交通事故に、あい、
怪我をしたのだが、幸いに、加害者が良い人で、
費用全額と見舞金をて出してくれたと。
、退院の時も、家まで、車で送ってくれた様だ。確かに、
新潟の人は、優しい人が多い気がする。
また、久しぶりの逢瀬の時には、離れて時間の長さに、比例する様に、
求め合って、以前に増して、激しく、長い、営みが続いた。
帰る時の、顔には、赤みがさして、うれしそうであった。
何か、良い事してあげたような、妙な気持ちになった。
雪解けのシーズンが、また、大変で、新潟の雪は、水分が多く、
はいている靴が、びしょ、びしょになり、嫌な感じである。
峠では、しばしば、小さな雪崩も起きるようである。
山道は、ゴールデンウイークに開通し、通れるようになる。
雪が消えると、あの雪女も消え、今度の雪の到来まで、お別れとなる
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