第十二話-1:千葉の田舎に就職-1

 その後、新聞広告を見て、次の会社に就職する事になった。
 そこは千葉県のはずれの鋳物関連の化学製品メーカーであった。
 社宅付きという事で、単身で赴任した。
 その会社には大卒の機械専攻の先輩が2人が
機械のメンテナンスを行っていた。技術課長の六歳年上の山下先輩。
 機械修理担当の木下先輩である。
 化学専攻の大卒の十歳の年上の八木工場長が製品検査をしていた。

 そこに入社し、私の使命は、新製品を三年以内に開発する事であった。
 実験の計画、化学薬品の購入、管理、新製品の性能実験も全て任せるというものであった。
 責任は大きいものの非常にやりがいがあると思い入社した。
 その後は色んな材料の素材の性能試験を最初に半年間で行った。
 次に、その材料を混合できるか調べた、混合物の性能試験で半年、
一年過ぎた頃、新製品候補が五種類出来上がった。
 今度は、その、燃焼試験(性能試験)をして、三種類までに、
 最終候補を絞り込み、新製品を世に出す計画であった。


さて、仕事以外の話もする事にしよう。
千葉の田舎で、最寄りの駅まで車で三十~四十分という
、陸の孤島に工場があった。
 その敷地の外れに研究室と三軒長屋と別棟一軒の
四軒の社員社宅があった。
 別棟に技術課長の六歳年上の山下先輩が暮らしていた。
 機械修理担当で三歳年上の木下先輩が私の隣の部屋に住んでいた。
 山下先輩は東京六大学出身で訳あって夜学を、卒業したようであった。
 コックのアルバイトも経験していた様で、料理がとても上手。
 休みの日にはポークソテー、ビーフカレーとか
旨い料理をごちそうしてくれるのが、最大の楽しみであった。

 離れの社宅は、三部屋で、妻帯者用としてつくられていた。
 そこの四畳半の部屋に、麻雀台と四つのいすを買って、
仕事を終えた後や、休日に、麻雀をして楽しんだのである。
 その時は、十二才年上の、この工場唯一の営業担当、
坂井先輩が得意先から帰ってきて、よく参加していた。
 本社から来る、ハンサムな本社の営業部長も、
たまに誘ったものであった。
 これが一番の息抜きになった気がする。
 腕の方は山下先輩が飛び抜けて強かった。
 彼の性格通り几帳面な打ち方で相手が、リーチをかけると、
うまく逃げたし、調子の良いときは、強気で、うってくるのであった。

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