第三十五話:リハビリ病院の仲間達1





 神奈川は、意外に知られていないが、医療、福祉にに対して、力を入れている住民に優しい県である。県立リハビリセンターは、当時実質的にリハビリ会のリーダー的な病院であった。全国から優秀な方々が来ていた。


県立リハビリセンターは、当時実質的にリハビリ会のリーダー的な病院であった。全国から優秀な方々が来ていた。


 

北島は担当、当初、医療関係の知識の幅を広げる為に、

ここの先生達の、部屋を訪ねたのであった。 

学校の教室みたいな机の配置で、リハビリ部長が、

先生の机であり、その他は対面して前から役職順に

机が配置されていた。 

そして毎日、闊達な議論や症例検討をしていた。





 

当時からリハビリを必要とする患者について担当医師とリハビリPT(理学療法士)OT(作業療法士)が、チームを組んで治療にあたるシステムを日本で最初に行っていたのであった。当時からリハビリを必要とする患者について担当医師とリハビリPT(理学療法士)OT(作業療法士)が、チームを組んで治療にあたるシステムを日本で最初に行っていたのであった。



そして我が社は、このリハビリについての学術映画を作成しており、ここのリハビリ室の,勉強会に活用していただくようになった。当時、リハビリの学術映画を企画して所有している会社は、ほとんどなく医療関係者に大変、重宝がられたのであり、当時、医薬品を発売していたのである。



 

その後、リハビリ部の忘年会、納涼ビールパーティ、

新年会など、いろんな行事に参加させていただいた。 

ここには日本のリハビリ学会をひっぱっていこうと言う

気概と、多くの若手の情熱が、ひしひしと

感じられたのであった。 




そして、ラグビーの名選手、大八木選手とは、

巨人の有名な選手の現場復帰のためのリハビリも、

行われていたのである。

若い人の交通外傷の後のリハビリにも積極的であった。

御巣鷹山・日航ジャンボ機墜落の時に奇跡的に

助かったスチュワーデス・落合由美さんのリハビリも、

ここで、長期に行われて社会復帰していったのであった。 









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