第3話:引越、市営住宅に当たる。
第3話:引越、市営住宅に当たる。 その後、母が、横浜市の市営住宅に、何回も、応募していた。 それが、ついに当選したのであった。 横浜市北部の市営住宅で、駅から、バスで30分くらいの新しくできた 市営団地であった。 家賃は、5千円/月と記憶している。 木造平屋、2DKの2軒長屋(テラスハウス) 生まれた始めて、風呂付きの家で、感動したのを、今でも思い出す。 小学校は、自宅から徒歩30分くらいで、地元の農家の人が多かった。 その中で、小学校の近くの、大地主の息子と仲良くなり、彼の家で、 遊び回っては、よく、怒られた。 ただ、そのグループは、非常に仲が良く、脳天気な、連中で、いつも楽しかった。 たまに、小学校の廊下のガラス窓から、数人で、昼食後、逃げ出して、 近くの、 原っぱで、遊び回っていたのが、楽しい思い出である。 あるとき、友人と、通信簿を見せ合った事があり、おまえも俺も、 頭いいんじゃん。だって、通信簿1と2ばかりだぞ。 かけっこでも、1等、2等は、良いと決まってるんだから、 明るく笑っていたのであった。 しかし、実際で、逆で、家でも、学校でも、馬鹿だねとか、役立たずとか 言われる毎日だった。 特に、音楽の時間は、先生に歌うように言われても、恥ずかしいから、 絶対いやと、6年間、1度も、歌わずに終わった。通信簿が1に なるのも当然だ。 図画の時間も、最悪だった、絵を描けといわれたので、 山に夕日が落ちる絵を描いたのであった。 しかし、真っ赤に見えたので、迷わずに、赤い絵の具で、全部ぬったのであった。 鉛筆で書いたはずの山の輪郭も、見えなくなり、ただ、画用紙に赤い絵の具を 塗っただけと、同然になってしまったのであった。 この絵を見た、図画の男の先生が、俺を、馬鹿にしてるのかと、 ぼこぼこになるまで、殴ったきたのであった。 それ以降、今後、一切、絵なんか、書くもんかと心に決めたのであった。 最後には、親が学校に呼び出され、教頭先生から、こんな子は、 早いうちになんとかしないと不良になるとか、馬鹿だから中学校にも、 行けないとか、さんざん脅かされたのであった。...