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123話:甲斐大学MPC研修会へ2

  昼食はレストランでゆっくりといただき、午後三時の研修会に 間に合う 様に帰った。     今日もデータベースとマックのファイルメーカを使った臨床写真入りの データベースという演題が 2 題出ていた。これには北島が驚いた。   四国の泉先生が、以前、北島君が最初にファイルメーカーを 紹介して くれたんだよねと言ってくれた。   画像の入ったデータベースをつくるのは、そんなに難しくないけど大きなデータベースがつくれないのとデータベースの並べ替え抽出が決められた コマンドだけに限られて自由度がないのが、難点だと言っていた。     しかし臨床写真を入れたデータベースの価値は医者にとっては非常に 大きいんだと言っていた。   つまり、どんな手術や医薬品が、どの位効果があったのか手軽に目で見てわかるのは理想的なんだと言うのだった。   きざな言い方をすると北島のまいた小さな種が芽を出し始めたんだ、 いずれ日本中 の多くの病院で、きれいで大きな花として咲き誇り多くの 患者さんを助ける事に なるはずだと強く思い描く北島だった。 また 最後の 懇親会がはじまり盛り上がった。   最後に久光先生が今回は、この会の発起人の一人でもある北島君が、 ここに来てくれたのは非常にうれしいと言ってくれた。   とかく何でも新しいものは東京、大阪など大都会から流れてくる場合が多いがパソコンのデータベースの臨床治験への利用というのは我が中信メディカルパソコンクラブが最初だと感慨深げに話してくれた。  そして、利用例も一番多いと信じている。   今後も地方から、都会へ逆に発信していこうではないかと締めくくった。

122話:甲斐大学MPC研修会へ1

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 甲斐大学でも、数人がパソコンを使っているが主にマックで学会発表の スライドつくりが主で吉川先生が東京で手術のや薬剤の臨床治験で データベースを利用した事がある程度だった。  そこで中信大学メディカルパソコンクラブの話をして毎年、夏に 研修会をしている話をした所、吉川先生から、もっと早く話してよと 言われ実は臨床治験でデータベースを利用したが上手くできなくて 困っていたとの話を聞かされた。  パソコンに強いのが2人いるから研修会に連れて行ってと言われた。  早速、中信大学の久光先生に連絡し、その件を伝えると大歓迎すると 言われた。 今年も、お盆過ぎ8月20日~22日に諏訪で開催する様だ。  そこで北島と上川先生と小清水先生の三人で研修会に参加すると伝えた。  今年も暑くなり、当日がやってきた。  北島のスペースギアで諏訪の会場の旅館に 到着し、久光先生に甲斐大学の 上川、小清水先生を紹介した。その後、次々に懐かしい顔に出会った。  四国からも3人来ていた。データベース Ⅲの臨床治験への応用の演題で 3題出ていた。初日から上川先生も小清水先生も質問したり関連資料を もらったり積極的に研修会に参加していた。  その後の懇親会で小清水先生が、今後、甲斐大学でデータベースの応用についてビジョンを語っていた。  翌朝、上川、小清水先生を「岡谷のやまびこ公園」へ連れて行った。  そして、諏訪湖と八ヶ岳がよく見える広場に案内すると、 すごい、きれいとの反応。  こんな素敵な所が、あるとは知らなかったと盛んに写真を撮っていた。

121話:同期の奴が多摩営業所の所長に3

 甲斐大学病院の吉川先生は医局のローテーションで来ている様で、いろいろ情報をもらえる貴重な存在になっていった。  甲斐大学病院を訪問した時、吉川先生に、また所長同行で来ますので宜しくと言った所ちょっと、しかめっつらをして、その話は、いいよとの返答。  東京の大学の医局の教授と何か、あったらしく東京のエリートは、 いけ好かないよと言い出した。  吉川先生が北島君、鈴木君の事ほんとに好きなのと言う始末だった。  安易に鈴木所長の事は言えない雰囲気だった。  これ対して鈴木所長と仲の良い、もう一人の桜井先生は彼は気は利くし 賢いし言う事ない営業マンだよ、彼なら一番出世するはずだよと言った。  北島君も鈴木君を見習って頑張れよと逆に励まされた。  早いもので、寒くなり今年も年末を迎えた。  忘年会は所員の年齢も近く、和気あいあいの楽しい宴会となった。  北島は調子に乗って歌って踊ってはしゃぎまくっていた。  スナックすずらん幸子ママが北島の横に座って、ねー聞いたと言った。  前のさおりママがタイで見つかったそうよ。  北島さんの会社の清水さんと愛の逃避行だったみたいと教えてくれた。  日本には戻ってこないつもりらしい。  素敵と言いたい所だけれど、ひどい話よね。  このスナックの、お金を持ち逃げしたのよ。  今、そのお金を返済中で実は大変なのと言っていた。  だから、また、ご贔屓にしてねと、ウインクした。わかったよ、できるだけ接待に使う様にするよと答えた。  彼女は鈴木所長について北島さんと同期と聞いてますが全く正反対の 堅物ね良くあれで営業成績が上がったわねと話し た。  彼女の口から北島さんの方が百倍すきと軽くキスされた。  実は北島も同期と言っても一緒に仕事した事はなく、彼と一緒に仕事するのは今回が初めてで内情は全く知らないんだよと彼女に答えた。  ただ東京支店長や営業本部長の受けが良い様で、その結果として 多摩営業所所長に十年目に就任するという、社内一の スピード出世となった様だと話した。

120話:同期の奴が多摩営業所の所長に2

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 まず最初に、口火を切って北島が 鈴木新所長に 歌を送った。  その後、鈴木所長が歌う事になったら、尻込みしていたが 仕方なく最近の歌謡曲を歌った。  しかし、お世辞にも、うまいとは言えなかった。 実直な歌い方は、演歌そのもので最近の歌には 似つかわしくない歌い方だった。  踊りはダメの一点張りで最後まで踊らなかった。  翌日から鈴木所長の挨拶のため山梨の基幹病院を訪問する事にした。  甲斐医科大学では東京出身で吉川先生が鈴木所長を知っている様で 挨拶した。先生が、こんな遠い所まで、どうしたの?と言っていた。  鈴木所長が今度、自分が多摩営業所の所長になった事を 照れながら話 した。  吉川先生が、すごい、ついに所長ですかスピード出世ですね一番早いんじゃない のと驚いたように言った。 彼はまぐれですよと返答していた。  次に多摩の大型A病院をに鈴木新所長の仲良しの桜井先生がいるとの事で同行訪問した。桜井先生がどうしたの、こんな所まで来てと言った。  多摩の所長で転勤したと伝えると良かったねとの反応だった。  鈴木所長を知っているといった二人の先生の彼に対する印象が 大きく違う事に後になって驚かされる事になる。  鈴木所長の担当の挨拶が終わった数日後、スナックで彼の病院での 印象について話を聞いた。 彼は多摩の大型病院は東京の中心部の病院と 同じ感じで、やり易そうだと言い。 ただ山梨は、田舎の病院という感じがあって慣れが 必要かなと感じたと言っていた。

119話:同期の奴が多摩営業所の所長に1

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 翌週には、東京営業所の同期の鈴木君が、新所長として赴任してきた。  久しぶりに会ったが銀縁のメガネが、よく似合うインテリ風の顔立ち。  少し年を経て、ますます切れ者の風貌が備わってきた。  まず北島は鈴木君と握手をして久しぶり、元気と気さくに話しかけた。  ちょっと笑いながら、でも所長さんだから敬語でないと駄目かなと、 おどけて見せた。いじわる言うなよと鈴木君は言い返した。  北島が時間は大事にしたいから今から多摩営業所の情報を伝える事に すると話した。  また関係資料のコピーも用意するから、読んでおいて欲しいと 鈴木新所長に伝えた。  営業所の現状と問題点、その対策を要領よく述べた。  鈴木は北島の顔を見ながら、さすが実績をあげて言う事も、そつがなく 要領よく、まとまっているなと笑った。  これで北島が話は、これで終わり、後は、この資料を良く読んで おいてと渡した。午前十一時には営業に出かけた。  数日後、鈴木新所長の歓迎会となった。場所はスナックすずらん。  そこに着くと童顔だが、ちょっと太めの店の子が、 新・ママのさちこです、宜しくと挨拶に来た。  さちこ、幸せな子と書きますと、おどけた口調で言った ので、周りの笑いを誘った。  歓迎会とはいえ、あまり堅苦しくなる事もなく、 気さくな感じで進行していった。

118話:田中所長交代の話2

 数日後、田中所長は工場への左遷を断って退職するとの情報が入った。  その夜、田中所長とスナックすずらんへ行き二人で話をした。  北島が田中所長に、会社やめて、どうするんですかと切り出した。  いやね女房とも話したんだが子供も高校生で来年は大学進学であり、 これから地方への転勤は無理と言う結論になり、仕事の方は女房の実家の 本家が秋田で味噌と醤油をつくっていて、その販売店を東京に出したいと言うので、その営業をやる事にしたと言った。  多分食ってはいけると思うがねと、以外に、さばさばとした口調で 明るく答えていた。  会社って非情だよ、成績が良い時は、おだてられ、業績が下がり 始めたら、お荷物あつかい、ひどいもんだよ。  北島君も気をつけてやれよ、無理して身体を壊すなよと言ってくれた。    北島も田中所長には及ばないが、いろんな苦労を重ねたので田中所長の 言葉がズシンと心に答えて我慢できずに涙がこぼれた。  すると田中所長が北島君も本当に苦労したんだね。  苦労を知らない者には、この意味が、わからないはずで涙なんて 絶対に流すはずもないからなと、しみじみと言ってくれた。  おもわず田中所長の手をぎゅっと握ってわかり合える男同士の感動を 共有した気がした。  そして最後に、つまらんものだがといって奥さんの秋田の実家の 味噌を渡してくれた。 味噌汁にして味わって、うまかったら、また買ってくれよ。  そして北島君の営業センスの良い所で、宣伝してよと笑いながら 晴れ晴れとした顔で言った。  北島は田中所長は仕事の何たるかをよく知っており 本当は心の広い優しい人なんだと感じた。  北島は心の中で短い間だったけど、本当にいい人に出会って、 良かったと実感した。

117話:田中所長交代の話1

 4 月になったある日、石井支店長が営業所を訪ねてきて北島君、今日、 話があると いうので一緒に出かけた。  高級そうなレストランの個室で食事しながらの話となった。 石井支店長から、びっくりしないで聞いて欲しいんだけれど田中所長が 交代が 本社営業会議で決まったんだと聞かされた。 後任の所長はには北島君の同期の東京営業所の鈴木君に決まった。 北島君も協力して多摩営業所を建て直して欲しいと言ってきた。 北島は思わず田中所長はどうなるんですかと言った。  田中所長は、騒動の責任を取り工場の課長として転勤に決まった と言 った 。 関西の工場の課長ですか? いくら、何でも、ひどいんじゃないですか、長い間、営業畑で苦労して きたのに・・、いやーわかるよ、石井支店長は僕も、そう思うだけれど、 本社の上司がこの事件を重く見て田中所長の監督不行き届きとして工場への左遷が決まったんだよ。 北島は、むっとして営業マンは所詮、単なる将棋の駒ってわけですか。 そう言うなよ、 石井 支店長も心苦しいと思っているんだよと言った。 田中所長と話したんですかと質問すると、いや、まだだよ。 なにせ、 付き合いも長くて切り出しにくいんだよと言った。 今晩にでも田中所長に話すんですか? いや話はしないというか、 できないよ。 社命と言う事で辞令を渡すしかないんだ。 実は石井支店長もつらいんだよと困った顔で話し続けた。 北島は石井支店長と食事も終えて話は、これだけですねと念を押して、 それでは仕事でかけてきますと失礼した。

116話:愛の逃避行2

 その後、甲斐大学病院を北島が担当する様に支店長の指示があった。  仕方なく、すぐに甲斐大学病院を訪問し薬局長や訪問科の先生に前担当者の清水が急病で退社したと伝え担当交代の挨拶をして回った。 その中に昔、仲の良かった吉川先生がいた。   吉川先生は現在、医局の講師で将来有望な実力派であり医局のまとめ役 となっていた。挨拶も早々に協力の約束を取り付けた。  数日後、清水先輩がクビだと決まったと小さな声で所員の前で 田中所長が言ったのだ。  まだ彼は、いまだ消息不明のまま、もちろん身柄は確保されていない。  その二ヶ月後、清水先輩の車が博多港で見つかったとの情報が 営業所に入った。港の駐車場に乗り捨てられていた。  博多港から海外逃亡したかもしれないとの噂が立った。  その後、港の管理事務所から女連れのスーツ姿の男性が釜山行きの 高速船に乗ったとの情報まで入った。  女連れ!きっとママに違いない。 気になったのでスナックすずらんの 女の子に情報をもらうため、 数日、かよってみた。  それによるとママと清水先輩は、やはり良い仲になっていて隠れて 温泉旅行、高級ホテルなどで逢い引きをしていたという情報まで出てきた。  最初にママと会った時の北島の感じは間違いなかったのである。  清水先輩とママはできていてライバル視して 北島をにらみつけていたんだとわかった。

115話:愛の逃避行1

 年末年始の休みが明けて仕事始めの日、清水先輩が出社してこなかった。  そして数日後、この出来事が意外な展開を見せ始めた。  清水先輩が休み続けたのだ。理由もわからずじまい家族からも帰って こないと電話が入り最後には家族から捜索願が出た。  仕事の接待でスナックすずらんへ出かけた日の事、ママ今日休みなの と 店の女の子の話だった。  よく聞くと、この数日、行方知れずだと言う事がわかった。  そして、どうも、店のお金も持ち出したようで、昨晩は、大騒ぎだった と言う事も、店の子が内緒で北島に教えてくれた。  その返済の問題で、マスターとオーナーと昨晩、遅くまで、 話し合っていたそうだ。 北島は嫌な予感が心の中をよぎった。  まさか清水先輩とママが愛の逃避行いくらなんでも、それはないよ幾度もつぶやいたが、心配が心の中で風船の様にに膨らんでいくのを感じた。   そういえば清水先輩の営業車、車検といっていたが数日見てない。  米子営業所の所長から二週間後、通行人が清水先輩のナンバーの 営業車を山陰の米子で見たという一報が入った。  ただ見たと言う事だけで清水君が見つかったわけではない。  所長が東京支店と本社に頻繁に電話をして今後の対策を練っていた。

114話:所長と先輩の喧嘩だ。2

 田中所長は最初はなだめて今日はちょっと飲み過ぎだよとか 言っていたのだが、いつまでも、だだをこねてる 清水先輩を見て今度は逆に田中所長が切れた。  馬鹿野郎、俺なんか、この会社に入って二十五年、じっと我慢して 苦労を重ねて、ここまで来たんだ、たかだか十年で仕事を辞めてやる! 上等じゃねーか、甘えてるんじゃないよと怒鳴ったのだ。  所長が、俺だって何回、辛酸をなめさせられたか数知れない。  そのたびに、今に見ておれと耐え忍んできたんだ。  支店会議や所長会議でも東京の市場の割に実績伸びないねと嫌みを言われ続け胃薬を飲みながら頑張ってきたんだよ。  おまえみたいな青二才に、何がわかるか。  収集がつかない様子を見かねてママが所長をなだめ清水先輩をなだめた。  ただ清水先輩に対するママの目が尋常でない事を北島は見逃さなかった。 最終的には田中所長が折れて先日の支店会議で、あまり厳しい事を 支店長に言われ、いらだってたんだと謝った。清水先輩が、 ちょっと言い過ぎましたと、みんなに謝った。  今年臨時ボーナス220万円、特別報奨金が100万円と通常ボーナスが180万円、給料が600万円、出張+外勤手当が150万円、 合計1250万円過去最高を更新した。  これは以前勤務していた長野で最後の年も伸び率が10%を越え8年連続の最高益更新だった。今年も多摩営業所の実績増加で近いうちに伸び率か増加額か何かで全国一を取り給料の更なる高みを目指す北島だった。

113話:所長と先輩の喧嘩だ。1

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   多摩での担当は地域の大学病院、大型病院中心だった。  田中所長は特に大学病院、大型病院の情報収集と、その情報の所員との共有化を要求していた。  いつもの様に挨拶回りから始まり数週間が過ぎた。  訪問しての印象としては都会は患者さんの数や先生の数、情報量は地方と段違いの多さで久しぶりに面食らった。  交通渋滞も、ひどく抜け道を捜すのにも、時間がかかった。  半年がたち収集した情報量が多く書き込んだ手帳が二冊目になった。  その情報を各担当者に伝えるのにも彼らの個性に合わせて説明するのに骨が折れた。  特に清水先輩は自分の固定観念が強いためか全く受け付けてくれなかった。わかった参考にしようと言うが話を聞いたから資料はいらないと全く聞き耳を持たないどころか余計な事、言うなといういわんばかりに見えた。  その後も清水先輩の実績は相変わらず低迷して理由は市場が閉鎖的であり頑張ってるが実績が出ないの一点張りだった。 他の所員は着実に実績を伸ばしてきた。  田中所長と清水先輩の口論の日々が多くなり清水先輩の 北島への風当たりも強くなってきた気がする。  その年も押し迫った十二月、ついに事件が起きた。 忘年会の席で清水先輩が田中所長に対して切れたのだ。 冗談じゃないよ、ここに来て十年以上になるのに所長は、 いつも文句ばっかで口を 開けば実績が伸びてないとか 目標に届かないとか、やる気あるのかとか言うばかり。 もう、やってらんねーよ、やめてやるよと言ってきた。