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フィリップ・ハーパー氏インタビュー【後編】

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「テレビ嫌い」の外国人杜氏が映画に出演した理由とは?  一番の武器は「日本酒を飲むのが好きなこと」 フィリップ・ハーパー氏インタビュー【後編】 後編ではハーパー氏が出演したドキュメンタリー映画 「カンパイ! 世界が恋する日本酒」についてインタビューを行いました。 ハーパーさんがおいしいお酒を造ることができる理由や 「最高の乾杯」などが明らかに! 監督に騙されて映画に出演!? ——ハーパーさんは映像メディアの取材は基本的に断ってらっしゃるそうですが、なぜ「カンパイ!」には出演したのですか? ハーパー それは、小西監督に騙されたからです。 ——どんな騙しのテクニックが(笑)? ハーパー テレビ業界の人は、みなさん「テレビには誰もが出たいと思っている」というスタンスで取材依頼をしてきますが、僕は自分を画面で見るのが好きじゃないので、出たくなかった。だから、会話が噛み合わないことが多いんですね。小西さんから最初にいただいたメールは、「自分もインタビューを受けるのは嫌いだから、ハーパーさんの気持ちはわかります」というような前フリでした。その後、「日本酒に詳しい人やオタクではなく、一般の人たちに日本の魅力を伝える映画を作りたいので協力してほしい」と言われまして。悩みましたが、日本酒の宣伝になるならと思い、出ることにしました。 リクエストは一切受け付けないことが条件 ——何か条件は出されましたか? ハーパー 過去に何回か受けた取材で一番ったのが、「こういう映像が撮りたい」という注文で、酒造りの流れが妨げられること。だから、「そういうリクエストは一切受けません。こちらはいつもどおりの作業をします」「我々は役者ではないので、演技やカメラを意識した動きは一切できません。それでもよければ」と言いました。 ——実際、撮影はいかがでした? 邪魔に感じたことはありました? ハーパー ないです。すごく気を遣ってくれましたし、蔵での撮影はすべて小西監督一人でやりはった。泊まり込んでいる蔵人とも何度か一緒に晩酌をしましたね。 ——完成した作品を観て、出演してよかったと思いますか? ハーパー 日本酒の宣伝をしていただくのはありがたいんですけど、やはり自分を画面で見るのが嫌いなことに変わりはない...

外人唯一の杜氏・ハーパー氏インタビュー・前編

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フィリップ・ハーパー氏インタビュー ・前編  まずは、日本酒の魅力や造りへのこだわり、日本酒ブームに ついて思うことなどを聞きました!  オックスフォード卒・史上初の外国人杜氏は「日本酒」と「業界」 をどう見たか?   1966年、イギリス・コーンウェル生まれ。京都府久美浜の 「木下酒造」で 杜氏を務める。  英名門オックスフォード大卒。日本の英語教師派遣 の JETプログラムで 1 988年に来日。  滞在中に酒の魅力に気づき、2年の任期を終えるころに 日本酒に関わる仕事を志す。  奈良県の酒造メーカー、梅乃宿酒造で蔵人として10年を過ごし、 各工程の責任者として経験を積む。  2001年に南部杜氏資格選考試験に合格。  大阪の大門酒造を経て、木下酒造で杜氏として迎えられ、 初年度にして 全国新酒鑑評会で金賞を受賞。 左から酵母無添加の自然仕込シリーズから 「山廃純米酒」(1.8ℓ2880円)、純米大吟醸「玉龍」(1.8ℓ7344円)、江戸時代の製法で造る超甘口酒「Time Machine 88」(360ml 1049円)。一番右の「アイスブレーカー」(1.8ℓ3148円)は、 ロックで飲む夏酒というアプローチ。 初年度にして 全国新酒鑑評会で金賞を受賞した酒「福袋」 どっしりとした飲み口で新た定番となった「玉川自然仕込山廃純米」や江戸時代の製法で作った超甘口「玉川Time Machine」など、挑戦的な酒造りで新たなファンを生み出している。 Time Machine Tamagawa nature-loaded mountain waste net rice 杜氏になったのは運とタイミング ——「 映画 カンパイ!」には、ハーパーさんが日本酒づくりに関わる 様になった経緯や、木下酒造での酒造りの風景が映しだされています。  現在の蔵元さんとの出会いについて、詳細を教えていただけますか? ハーパー:うちの蔵元は50代前半で、生まれたときから同じ方が杜氏を してらした。 ...

外国人・最初・唯一の杜氏の話1

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フィリップ・ハーパー(Philip Harper1966年 )は日本で活動している  イギリス出身の日本酒の醸造家(杜氏)  ハーパーは日本において、日本酒を醸造する蔵人の監督者である 杜氏の 資格を得た、2001年時点で唯ひとりの外国からの移住者である。  1991年以降、彼は数多くの蔵元で働いてきた。 彼は、日本酒の市場を、 アジアやヨーロッパ、北アメリカなど、世界各地 に広げ、また、 日本酒を日本の国民的、文化的な飲料として 復活させたいと考えている。 フィリップ・ハーパーの経歴  フィリップ・ハーパーは1966年にイギリス、イングランドのバーミンガムで生まれ、コーンウォール州で育った。1988年に英文学の学士号を得て オックスフォード大学を卒業した。  卒業後、日本の外国語青年招致事業 (JET) によって大阪に渡り、 公立中学校や高等学校で英語を教える仕事を2年間続けた。  ハーパーはもともとヨーロッパの酒を好んでいたが、同僚の教員たち との宴席で日本酒に出会った。やがて日本酒愛好者の集いに加わって、 大阪周辺の酒場を飲み歩くようになった。  JETの契約期間を終えた後、ハーパーは日本に留まることを決め、昼は 英会話学校で、夜は地元の酒場で働くようになった。  1991年、彼は奈良県の田舎町の蔵元である梅乃宿酒造に出会った。  ハーパーは、ここで何でもやる労働者として働き始めた。  最初の年には、玄米の精米を担当し、精米機の操作や袋詰めを行なった。  2年目には、蒸米の作り方を学んだ。3年目には、米を発酵させて酒に する麹を作る麹造りを担当した。  ハーパーは、10年間にわたって、10月から4月までの酒造りの時期には、 毎日休みなしに梅乃宿酒造で働いた。  蔵元の主人は、ハーパーに酒の醸造を 講座で学ぶ機会を与え、 彼の知識が深まるように様々な材料を与えた。  ハーパーは、酒蔵で働き始めてから程なくして日本人女性と結婚した。   その結婚式の日は、梅乃宿酒造で働いていた10年間の唯一の休みの日 であったという。  ハーパーは、1998年に最初の著書『The...

2人の外国人の日本酒、専門家

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John Gauntnerの日本酒ハンドブック John Gauntner は、The Sake Handbookと言う本を出版している。 日本酒の紹介も、続けてきましたが、ちょっと視点を変えて、 外国人が日本酒に、 日本で、どう関わっているかというテーマで、 考えてみたいと思う。 日本には、私の知ってる限りでは、日本酒の専門家の2人の 有名な外国人がいる。 アメリカ・オハイオからきた日本酒伝道師John Gauntnerと、 木下酒造(京都)の杜氏になったフィリップ・ ハーパーPhilip Harpeである。 今後、彼らについて、継続して書いていきたいと思う。 アメリカ・オハイオからきた日本酒伝道師John Gauntne アメリカ・オハイオ州生まれ 54歳、エンジニアとして 働いていたゴントナーさんは、 1989年の正月  神奈川県の横浜市の高校の先生の同僚の教師の自宅に招かれました。 日本酒の好きな人で種類の違う日本酒を5本持ってきて、 熱燗ではなくて、飲み比べをしました。 飲むと味が変わってゆき非常に面白いと思いました。 これで私の人生が変わりました。 日本酒の世界を深めて30年近くになります。 日本酒の奥深さがあると思います、日本酒の味、香り、作り方、 歴史、文化、奥深いと思います。 日本にいる外国人に日本酒のセミナーをやっています。 30分~1時間セミナーをやったあと日本酒を飲んでもらったりしている。 フィリップ・ハーパーは、1966年にイギリス、イングランドの バーミンガムで生まれ、 コーンウォール州で育った。1988年に英文学の学士号を得て オックスフォード大学を卒業した。 卒業後、日本の外国語青年招致事業 (JET) によって大阪に渡り、 公立中学校や高等学校で英語を 教える仕事を2年間続けた。 ハーパーはもともとヨーロッパの酒を好んでいたが、 同僚の教員たちとの席で日本酒に出会った。 やがて日本酒愛好者の集いに加わって、 大阪周辺の酒場を飲み歩くようになった。