投稿

12月, 2017の投稿を表示しています

80話:サリー先生と別れのキス2

イメージ
 北島はグラマーな女性がタイプでサリーはタイプじゃないと言った事を いつまでも根に持っていた様だ。  この話を会社の仲間が聞いて大笑いしていた。  サリーは自分のスピーチが受けたと思い大はしゃぎだった。  タクシーでサリーを送って帰ろうとした時、サリーが運転手に ちょっと待っててと言い、かがんで、もたれかかる様にして 北島をハグしてながらキスをしてくれたのだ。  北島は、その時のキスの味は一生忘れないだろう。  そ んな思い出と共に、また、新年を迎えた。  今年も営業メンバー全員で善光寺参りをして仕事始めとなった。  それぞれ、お参りをした後、昼食をとりながら今期は昨日までの実績で 全国二位の伸び率である事を報告した。あと一歩で全国トップになれる ので頑張っていこうと言うとみんな、やる気満々だった。  中信大学病院でも学会のスライドつくりにMACが大活躍していた。   北島は先生方からの質問も多く手際よく、多くの先生に教えて回った。  返ってくる反応も良くまた頑張って使うからねと笑って答えてくれる 先生が多くなってきた。  大学も派遣病院も売上は順調。  そしてニ月に売上コンクールで、ついに、売上高、全国伸び率トップ となった。  あと一ヶ月トップで逃げ切れば支店長の接待と営業所の 設立が 現実となる。  いつのまにか、信心深くない北島も、この時は近くの神社に願を かけに行った位だ。  その甲斐あって、この年は、ついに売上高伸び率、全国トップを 手にしたのだった。そして、念願の長野県の営業所、設立となるはずだ。

79話:サリー先生と別れのキス1

イメージ
 今年の営業所の忘年会は松本城の近くの 「しづか」で一次会、 二次会はスナック中町、ゆかりママの所へ行った。  ここまでは例年通りたっだのだが、そこへ珍客が現れたのだ。  その珍客とは英会話教室のサリー先生だった。  何でも今年いっぱいでカナダに帰るので、その挨拶に来た。   それを知ったゆかりママが気を利かして呼んだ様だ。  そして北島が会社の仲間にサリーを簡単に紹介した。  しんみりとした送別会にしたくないので陽気に 飲んで歌って大宴会となった。  また、いつもの様にサリーは、かなり飲んで上機嫌だった。  ついに北島の事を英会話学校でのニックネーム、ミスター・ノーと 呼び始めた。英会話教室でサリー先生が生徒に意見を聞くと 日本人の 生徒はYesと最初に言ってから話し始めるの人が多かった。  しかし北島はつむじ曲がりで最初にNoと言ってから話を始めるので、 ついたあだ名が「ミスター・ノー」  サリーの北島への第一印象は奇妙な日本のサラリーマンだと 映ったらしい。  しかし親しくになるにつれ、率直にものを言う頼れるお兄さんに なったそうだ。  そしてサリーが祖国、カナダに帰る理由を聞くとサリーの恋人が 監獄から出所してくるからだと言う。  詳しく聞くと喧嘩で怪我させた相手が、よく調べてみたところ、 お尋ね者で更に相手の方が先に殴ってきたことが判明したらしい。  そのためサリーの恋人の懲役五年が一年に短縮されたそうだ。  サリーは、自分自身を、ちょっと前まで中国人、韓国人、 日本人の 区別もできない 様なカナダ人だったと言った。  しかし日本に来て、日本が先進国である理由が日本人と接して 良くわかっとの言った。勤勉で人に優しい良い人ばかりだと 言ってくれた。  サリーのスピーチは、とても面白かった。

78話:松本での家を買う2

イメージ
 ところで担当者が北島と奥さんの両親は何をしてるのと聞くので 女房の父が会社を経営していると答えると担当者の顔が急に明るくなる ではないか、もっとそれを早く言ってよと言うのだ。  電話番号聞かれ確認された後あれだけ嫌な顔していたのが 上機嫌にかわり商談成立となった。  北島が担当者に詳細を聞くと大丈夫ですの一言。  無事、購入となった。その後、銀行でローンの相談。  北島さんなら一千万円までしか貸せませんが奥さんの両親が 保証人なら五千万円まで貸せると言うのだ。  これで松本に、あこがれの戸建てのマイホームを手に入れた。  しかし、その後、冬将軍との闘いや凍結、湿気との対決が待ち構えて いる事を想像できない程、夢ごこちの北島だった。  この冬、松本の厳しい冬将軍の攻撃が容赦なく半年も続いた。  灯油の消費量が多く厳寒期は五百リットルの屋外タンクを満タンでも 一ヶ月持たず補充する有様だった。  家の庭には巨大な霜柱がびっしりと立った。  引越して近くの小学校と保育園に入学、入園の手続きを取った。  女房がローン返済のために働かかなきゃ大変でしょと言い、近くの 大手電機メーカーの工場の下請けの会社に就職した。  朝八時に北島が一番下の息子を保育園に送り、すぐその後、 小学校の娘と女房が家を出る。  また夕方、小学校の娘が交代制で一番下の弟を保育園に自転車で迎えに 行く生活が始まった。  四~五月の桜のシーズンになって朝の霜がなくなると若葉が芽を 出す良いシーズンが始まる。  女房も働いて数ヶ月たって何人が友人もできた様で楽しく働いていた。

77話:松本での家を買う1

 北島の奥さんの友人の建設会社の社長夫人が北島家を訪ねてきて松本市 南部 の郊外に豪華で格安の物件があるから見に行こうと言ってきた。  大学病院から車で三十分の閑静な住宅街、建築して二年目の物件で 土地が百四十坪、建物が五十坪で三台分の駐車場付き最寄り駅まで車で 五分、徒歩十五分。週末に行った。  まず豪華で吹き抜けの玄関にシャンデリア、六LDKで、お風呂は 大型浴槽。ガラス戸は全部二重サッシ、一階は、大型窓が二カ所、 リビング・ダイニングは南向きで広々、十六畳リビングとと八畳の和室、 大きなウオークイン・クローゼット、作り付けの大型靴箱、 大型の押し入れと十分収納施設も備えている。  二階は南向きの洋室が四つ。総額六千万円の提示だった。数回の値下げ 交渉で五千万円で良いと言ってくれた。実は後でわかった事だが、 建主の会社社長が不当たりをくって、買えなり、その後、地元の相場に 比べ高過ぎるので一年以上買い手がつかなかった様だ。  北島は最終的に四千六百万円を提示した。  担当者が会社に持ち帰って建設会社社長と相談して許可が下りたら 連絡すると言った。  翌日、担当者から了解の電話が入ったのだ。  今度は銀行で頭金と支払いの話になり急に雲行きが怪しくなった。 勤務先、年齢、役職と年収など具体的な話となった。その時まず会社の 事を聞いてきた。上場してない事を話すとそうですかと 暗い返事がかえってきた。  あなたの、ご出身はと聞かれ横浜ですと答えると県外ですか・・  では頭金は半分以上お持ちですか? 質問、攻めにあった。   頭金は一千万円位では、どうですかと北島が言うと、笑いながら、 そりゃー無理だと。  県外の人に、そんな大金を融資してくれる銀行はないよと言った。

76話:マッキントッシュが使い放題2

  そう言う意味ではパソコンの創世記に中信大学では医学、 医療の電子化について 先進的だったと思っている。   医局で少しづつ人間関係ができてきて徐々にであるが いろんな情報が増えていった。   そして先生の移動時にいろんな情報を赴任先の担当者に 渡せる様になってきた。   こうする事によって実績も飛躍的に向上してきた。  特に仲の良くなった先生の 移動先には担当者同行で 挨拶回りを 欠かさずに行う様にした。  その 波及効果が出始めて県内の売上も一年目がプラス10%、 2年目がプラス15%と 伸びて、念願の営業実績で 表彰の 栄誉を得る事ができた。   六月お祝いに松本郊外の温泉で一泊で慰労会を営業所全員で開いた。   長く苦戦していた南信の吉川君も涙を流して喜んで くれたのは感動的だった。  吉川君が負け犬では終われない、これからですね。   またもう一度、全国一を取り営業所を作りましょうと檄が飛んだ。   その晩の、お酒のうまさは、今でも忘れられない。  松本赴任二年目は、社内の等級が一つ上がり課長になった。  年収が 八百万円と過去最高 となり、 こうなったら年収一千万円突破を 目標 に して頑張ろうと心に誓う北島だった。

75話:マッキントッシュが使い放題1

イメージ
 その後、時代の流れと共にマックの時代がやってきた。  パワーポイント(スライド関連ソフト)、パワースウェーション (スライド作成ソフト)、フォトショップ(スライド関連ソフト)、 ファイルメーカー(カード型データーベース)、ロータス123 (表集計計算ソフト)などのソフトの使い方を勉強していった。  ただ日本語ワープロソフトは日本製のパソコンの一太郎の方が  日本語変換の正確さで勝っていた。  北島も先生方の中古パソコンを買ったり、また新入医局員に、  また中古で売ったりして、いろんなパソコンを使うことができた。  MAC・SE30、LC Ⅲ、LC475、クアドラ800など数多く のパソコンを自由に使えた。  また日本で最初のCDをメインに使うFMタウンズ(富士通)も印象的。  今から考えても北島にとって夢の様な時期だった。  ただ1台でワープロ、スライド関連、データベースソフトで満足させる マシンはなく日本製のパソコンとスライド用パソコンマックの 二台持ちの先生が多かった。  医局にマック・クアドラとNEC9801が、一台づつ置いてあり、 医局員がいつでも使えるようにしてあった。 ソフトの不具合やアップデート、メンテナンス管理を久光先生が 行っており業者の手を借りる場合は北島の方で連絡して修理の手配をした。

74話:レ線写真をコンピュターに取り込む実験3

イメージ
 もう一つ解像度が欲しいと言うのだ。 骨折している所は完全にわかる、しかし折れた程度が 今一つ分かり 難いと言っていた。 この結果に、この会社の担当者は七十点なら、もう少し改善できれば 使えると理解して良いのですねと言った。  教授に伝えると全くその通りだと答えた。  もう一歩といったところだねとの答えに彼は満足した様であった。  教授から、ところで、この装置、全体でいくらするのかとの質問が 出て担当者から、この装置は市販品でないので値段はつけられませんが 一億円以上はするでしょうねと言っていた。  教授が高いな、もっと安くしてよと言った。  またデモ用に一台置いて欲しいと言い始めた。  会社に帰って相談するという事になったが後日の連絡で、 この機械は試作機で企業秘密が詰まっているので置いておけない との連絡が入った。  その会場に関係者以外の男が数人いたのを不気味に思った。  多分、日本の大手メーカーであろう事は想像できた。  その後アップルから正式回答で当社では、そういう目的でマックを 開発したのではないので積極的に協力できないという返事だった。   つまりマックとしては大きなメモリーを買って試してみるのは 自由なので自分でやって欲しいという事だ。  二年半後、マック・クアドラで白黒のレントゲン写真を取り込み データベース化できる様になった。  価格はソフト込、一台五百万円と以前より随分安くなった。  この医局では、このセットを一台購入し設置して医局員が 自由に使える様にした。

73話:レ線写真をコンピュターに取り込む実験2

イメージ
 待つこと一時間。IVMが興味を示してきたと言うのだ。  もし成功した場合その結果を会社の宣伝に使わせてくれるなら 実験しに行くとの返事だった。  翌日、この話を教授に伝えたところ宣伝許可の話は承知したと言った。  教授の空いてる日を聞いて、再度、直接を話してみますと伝え失礼した。 IVMと打ち合わせをして翌月十日の夜七時から 実験をする事になった。  当日は大型トラック一台と、クレーン車一台と、乗用車一台で、 IVMの社員が五人で医局にやってきた。  廊下を、大きな台車にのせた大型スキャナー (画像取込装置)と 大型パソコンとハードディスク装置とモニターを持ってきた。  医局は広いが機械を操作するのに五人とデータベース研究会の五人と 教授の十一人が入るといっぱいだった。  早速レントゲン写真を取り込む事を開始、最初に機械の電源を入れて 五分待ち安定したのを確認してイメージスキャナ (画像取込装置)の 上にレントゲン写真をのせスタートボタンを押した。 独特の音を立てて少しずつ光が動くのが見え、一枚を取り込むのに五分、 メモリーに画像データをため込み、 次に、そのデータを ハードディスクに 書き込む。  メモリへの取り込みとハードディスクへの書き込みに約十分かかった。  その画像を二十四インチのモニターに映し出すと見事にレントゲン写真 が映し出された。  どよめきと、ため息がまじった声が医局内にひびいた。  それを教授が見始め、画像が暗いからモニターの明るさを上げる様に との指示がでて係員が調節した。  そのレントゲン画像をじっくりと見始めてから数分して 教授が百点満点中、 七十点かなとの評価を下した。

72話:レ線写真をコンピュターに取り込む実験1

イメージ
   中信大学を含め大学系の病院でも中信大メディカル・パソコンクラブの メンバーが増え売上に大きく貢献してくれる様になり、 全県的に業績が伸びてきた。 パソコンのフロッピーディスクを久光先生に渡して欲しいという 要請を多くの先生から受ける様になった。  学会発表の用のスライドを見てもらいチェックしてもらうらしい。    仕事面で、この年は植えた種が芽を出し花開きつつある良い年であり 順調に売上もついてきた。    その後、久光先生からの電話で大至急、教授に会って欲しいのとの 連絡があり急いで医局へ行った。  教授に、お会いしお話を聞く事になった。  その内容は白黒のレントゲン写真は二十四階調 (黒白の濃淡程度が非常に細かい)であり、その微妙が違いを 医者は見分けて骨折している場所と程度を見るというのだ。  それをパソコンにデータとして取り込む事ができるかという質問だった。 もし、それができれば非常に役立つし画像データベースとして ぜひ使いたいと言った。  早速調べてきますとお答えして失礼した。NEC、富士通に 問い合わせ てみたが、できないとの回答。  パソコンの販売会社に聞くと理論的には可能ですが多くのメモリーが 必要であり高額になると言い、取り込むとしても、そんな 高性能スキャナーは日本にはないのではないかと言っていた。   どうしても試してみたいと言うと心当たりのある所に 聞いてみると約束してくれた。

71話:長岡の友人が遊びにきた3

イメージ
 本当にありがとうねといった。こんな楽しい一日は生まれて 初めてといった後、大きな声で泣き始めた。  北島は困って人目も気にせず彼女を、ぎゅっと抱きしめた。  北島のスーツの腕が栄子の涙で濡れているのがわかった。  早足で車に乗り豊野駅に向かって走り出した。    車中では栄子は最近、嫌なことばかり起こって、 ふてくされていたと言った。  これで何とか明日から立ち直って生きていけるわと喜んで 満面の笑みを見せてくれた。もー来ないから安心してと言った。  でも北島さんが転勤する時に、 またお別れに来ようかなと、 いたずらっぽく笑った。  突然指切りしてと言うので北島は、指切りをした。  その時が来たら絶対に、お別れするからと、また泣いた。  一時間位で豊野駅に近くなり、お昼も近くなったので近くの そば屋に車を止めて昼食をとる事にした。  栄子が、ここのそば硬いねと言った。  店の人が、うちの店は富倉そば、なんだよと言った。  富倉蕎麦は山牛蒡の繊維をつなぎに使った色の濃い蕎麦で、 それで硬く感じるんだよと教えてくれた。 でも富倉蕎麦旨いだろうと言った。  北島が信州に旨いものなしと言うが、そんな事はないんだよと言い、 実は地区ごとに、いっぱいあるんだ。  ただ信州の人は商売上手じゃないから全国には、 知られてないんだと言った。  地元の人は格好をつけて宣伝しなくても黙って食えば、 わかるんだよと思うのか、派手に宣伝しないのさ、と言った。  いよいよ別れの時がきた。栄子が別れがつらいから見送らなくて良いよ と言ったが、そう言う訳にはいかないとはねのけた。  列車が見えて栄子が乗り込んだ窓を開けて大きく大きく、 ちぎれんばかりに手をふった。  また、やはり大粒の涙があふれていた。  その光景を見ていると思わず北島の目にも涙が浮かび、 あふれ出すではないか。  もう恥ずかしさんなんか忘れ列車の姿が見えなくなるまで 手を振って見送った。 未だに雪をかぶった北信五岳 (飯縄山、戸隠山、黒姫山、妙高山、斑尾山) が、この二人の別れをじっと見届けてくれたのかもしれない。

70話:長岡の友人が遊びにきた2

イメージ
   その後、菅平高原へ経由で小布施へ向かった。  今晩は湯田中温泉を 予約しておいた。  戻ってくると栄子はカメラを用意し撮る気満々だった。  上田城を見て涼しい菅平高原をドライブして小布施についた。  葛飾北斎の天井絵で有名な岩松院や葛飾北斎記念館を見学し  桜井甘精堂で有名な栗おこわセットを食べた。  おこわは栗の甘さと、もち米の固さが絶妙で非常においしい。  同じお店の喫茶店でモンブランと紅茶のセットを楽しんだ。  これには栄子も非常に喜んで、こんな、おいしいモンブランは 初めてだと言った。この紅茶も合うねと上機嫌だった。  その後、予約しておいた湯田中温泉の歴史ある木造の宿へ向かった。  チェックインを済ませ石の露天風呂に入りに行った。  この宿は大きな風呂が五つもあるから何回も違うお風呂を 楽しもうと栄子に言った。楽しみだわと喜んでくれた。  ゆっくりと風呂を楽しみ帰ってきてビールで乾杯した。  これは、たとえ様のない旨さだ。  栄子の上気した顔がやけに色っぽく見えた。  その夜は、ご想像の通り久しぶりの逢瀬を楽しんだ。  翌朝は、ぐっすり眠れたせいかスッキリ目覚めた。  朝食をいただき外湯巡りに繰り出して二ケ所ほど回った。  ゆっくり喫茶店で、お茶をして、お土産を買って昼頃に 宿にもどりチェックアウトを済ませた。  栄子は喜んでくれ本当は、もっと長く、いたいんだけれど、 あんまり迷惑かけちゃいけないから今日帰るよと言った。

69話:長岡の友人が遊びにきた1

イメージ
 新年は近くの神社に北島家全員で初詣をした。 北島の長女はスキーがうまくなります様、奥さんは北島の交通安全と 家族の安全を祈願し、北島は仕事が、うまくいく事を、それぞれ祈った。  昨年、県内の営業担当者が全員、初出勤の日に長野の善光寺で 初詣をしたが、今後、恒例行事にする事にした。  各自に連絡し十時に善光寺で待ち合わせ、お参りをし、 参道のそば屋 で一杯飲みながら今年の抱負を語りあった。  若手は今年の目標達成と特に指定した対象品の売上を 伸ばしたいと具体的だった。  北島は営業成績コンクールで全国トップになって東京支店長か 営業本部長と長野県チーム全員で上山田温泉で芸者さん付きの派手な 宴会をする事を目標にしたいと会議をしめた。  午後二時過ぎ、お開きにして流れ解散。北島は善光寺前通の店の、 うまい酒まんじゅうを土産に帰路についた。  そして今年も営業活動開始となった。  翌週、得意先に新年の挨拶を一通り終えた。  今年も四月が過ぎ五月になり女鳥羽川沿いで花見を楽しんだ。  突然、運転中にポケベルがなった。あわてて近くの公衆電話から 指定の電話番号にかけると長岡での送別会に来ていた栄子が出た。 久しぶりといい用件を聞くと今週金曜日、長野の善光寺に友達と 行くけれど近くで会わないかと言うのだ。  そこで長野駅近くの喫茶店に10時に待ち合わせた。 意外にも彼女一人。  友人はと聞くと二日前に来て今日別れて先に長岡に帰ったそうだ。  北島が今日は仕事だから少しつきあってというと、 わかったと答えてくれた。  栄子は温泉や高原へ行きたい言った。  そこで早速、営業車に乗って上田に向かった。  そこで昼間レストランで栄子を一時間ほど待たせ仕事をしてきた。

68話:サリー先生との出会い1

イメージ
   GOS英会話教室に十月から新しい先生が赴任してきた。  カナダ出身のサリー先生、長身で細身の美人。  数日後、彼女の歓迎会を近くの居酒屋で行った。  活発でお酒も強く楽しいタイプであった。  調子にのって二次会に誘うとついてくると言うので スナック中町へ行った。  ゆかりママはびっくりして目を丸くして出迎えてくれ、 二次会は清水さんとサリーと北島の三人だけだった。  サリーがアバが好きで何曲も歌った。声もきれいで上手だった。  そしてかなり打ち解けたのかサリーの身の上話まで出てきた。  サリーは訳あって好きな男性と別れて日本に来たという。  もう少し詳しく聞いてみるとサリーの恋人は185cm100kg以上 の大男で悪い人ではないのだが飲み過ぎると喧嘩をするのが欠点だった。  ある日、地元のパブで喧嘩をし相手を入院するほど殴ってしまい 監獄送りになった様だ。  この話には、みんな、びっくりした。少しして、ゆかりママがサリー と流暢な英語で話し出したのだ。  ゆかりママがサリーに、その気持ちよくわかると 言い出して意気投合した。  そして、また悩み事があったら北島さんに連れてきて もらってねと言った。サリーの連絡先まで聞いていた。  また辛い事が、あれば電話していいよと言ったの だ。  それにゆかりママの英語が上手さに驚いた。  北島が、ゆかりママにも何か秘密があるなと、それとなく 理由を聞くのだった。  ゆかりママが昔、横浜で米軍の若者と仲良くなって結婚を夢見たが、 その彼が米国に帰ってから戻らなくなり音信不通となった 苦い経験を したらしい。  その時の辛い経験がサリーの気持ちに共鳴したのだ。  その後サリーは、ゆかりママと二人で長々と話していた。  サリーは、よっぽどうれしかったのか最後はママーと連呼して泥酔した。 帰る途中でサリーが北島に、どんなタイプの女性が好きなのと 聞いてきたので、女性はグラマーで色っぽい人が好きだと答えた。  サリーは、酔った勢いでサリーの事なんかどう思うと言ってきた。  そこで北島はサリーは、きれいで素敵だと思うけど残念ながらタイプ ではないと言ってしまった。するとサリーは怒った目で北