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112話:多摩営業所での歓迎会2

  山梨県は、よそ者を受け入れない厳しい土地柄で新規開拓は非常に むずかしいと弱音ばかり吐いていた。 田中所長の計画では、いずれは清水君 の後任として北島に頼みたいとの意向だった。   その晩、北島の歓迎会が始まった。北島が自己紹介を終えて歓談が 始まった。 清水君が、やり手の北島君がくれば多摩も伸びて良いんじゃない ですかと 嫌みな言い方で敵意むきだしだった。   その他のメンバーは、総じて好意的で新人の足立君は所長に入れ 知恵されたのか 、 驚異的な実績を残した北島先輩の営業方法を学んで、 できる営業マンに なりたいですと歯の浮く様な、お世辞を言った。   二次会はスナックすずらん、立川でも、奥まった目だたない店 だった。 ベテラン ママのさおりはで相手の弱点を探す出す名人と評判のやり手だ。  北島が所長に紹介され自己紹介しようとするとママは軽く手で制止し北島の顔を じっとみつめ手相を見た。  北島さんは意外としたたかだねと不適な笑みを浮かべた。 所長うかうかしてると寝首をかかれるよと言った時、 所長の顔が突然曇ったのを 北島は見逃さなかった。   変な空気になったので、マイクを取って、得意の洋楽の歌を披露した。   彼の歌は大受けであり店の女の子も釘付けになった。 その後、宴も たけなわになり他の人の歌に合わせて店の女の子と次々に踊った。   帰り際、店の女の子のハートをしっかりつかんだ様で、 うっとりとした 目つきで送り出してくれた。   ただママは目を見開いて笑ってはいるものの内心、面倒くさい、 お客さんだなって思っている様に見えた。   その後ママに文字通り面倒くさい騒動に巻き込まれる、 とは初対面では想像もできない北島だった 。

111話:多摩営業所での歓迎会1

 東京支店の支店長室で、 明日から立川の多摩営業所に行ってくれと石井支店長から辞令をもらい、翌日、多摩営業所へ出勤した。  多摩営業所の田中所長は、たたき上げ二十五年の厳しい事で有名な所長。  多摩営業所は、東京の多摩地区と、山梨県を担当している。  早速、会議室で田中所長と面談をして、多摩営業所が都内チームの成績は 良いのだが、山梨県での市場開拓が遅れており山梨県の市場占有率が民力度の半分にすぎないのが最大の問題点であるとの説明があった。 田中所長から北島君の地方での成功例をこちらでも発揮してもらいたいと 言われた。 所長から来週の会議までに資料を熟読して意見を聞かせてくれと関連する営業資料の束を渡された。今日は内勤して、この資料を読んで不明な点や質問があったら聞いてくれと言われ会議室で資料を読んだ。  翌週の営業会議で早速、山梨県の市場開拓をどうしたら良いか意見を聞かせてくれと所長からの発言で話をする事になった。  まず対策として短期対策と中長期対策分けて話した。  短期対策としては卸さんとの関係強化が急務です。  具体的には山梨県、訪問時は毎日二件の卸訪問をする必要があり 卸対策が重要だと言った。  中長期対策は中心病院である甲斐医科大学、他、大型病院での 情報収集の徹底であります。  時間がかっかても甲斐大学の先生方の情報をしっかり把握する事が 市場開拓のキーポイントだと語った。    山梨県は、所長が月二回程度、訪問するが、担当者は清水君。  所長の話では清水君は担当して10年でマンネリ化していると 心配していた。

110話:信州を去る日2

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 間欠泉センターは日本で代表的な天然の間欠泉で、そこが温泉施設になっていて休日に温泉を楽しんだものだ。 (現在、温泉施設は閉館して存在しません。)  また数分後、左手に蓼科、その奥に雄大な八ヶ岳があらわれてきた。  夏の暑い日にドライブで車山高原、霧ヶ峰高原、美ヶ原高原の山岳ドライブを楽しみ、美ヶ原を、涼しい風の中、散歩したのが懐かしい。      小淵沢から山梨県に入り韮崎、甲府とつながる。一時間以上過ぎた頃、やがて相模湖町が見えて神奈川県に入り続いて八王子あたりからマンション 群が建ち並び、都会の様子となっていく。 戦場に向かう兵士の様な武者震いを感じたのには北島自身、奇妙な感じがした。そして新宿に着いた。  そこから徒歩10分の所に東京支店がある。そこで挨拶をしてまわった。 顔見知りの女子社員は、やさしくお帰りなさいと行ってくれた。  しかし営業の連中は、何とも言えない複雑な顔つきで、こちらを見ていた。中には、いーよなー、成績の良い営業マンは転勤でも、わがままが言えてなどと、あからさまに嫌みを言うものまでいたくらいだった。多分これが営業社員の本音なのかもしれない。めんどくさい相手が戻ってきた、また、大変だとでも言いたそうだった。

109話:信州を去る日1

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   九月となり転勤する日が近づいてきた。  その週の週末に家族全員で多摩に行き借家を捜したが3DKのマンションまではあるが駅に近い戸建ては少なく、徒歩圏内では見つからなかった。  駅から車で10分の所に築七年の4LDKの借家があり、そこに決めた。   バスで15分、便数も多く駅まで行けばスーパーや多くの店がある 所だった。  早速、不動屋さんで契約した。家賃は駐車場一台付きで月、15万円、 北島の役職では、月10万円まで、補助金が出るので、実質、月5万円の 持ち出しとなる。小中学校まで徒歩15分だった。    数日後ついに信州とお別れする日がやってきた。松本駅から特急あずさで新宿に向かう電車の中、まず最初に目に飛び込んだは雪をかぶった 北アルプスの勇姿。  思い起こせば、仕事で落ち込んでいる時、いつも心を奮い立たせてくれ た。凜として神々しいまでの美しさは、また都会のビジネスの仕事場に向かう企業戦士を熱く送り出してくれるのには十分すぎるほどの迫力だった。  10分位、過ぎると塩尻駅が見えた。ここから木曽路に曲がりくねった 国道19号線を2時間かけて県立木曽病院を訪問した。木曽の桧の臭いが 懐かしい。   塩尻峠を越えると岡谷、諏訪、右に諏訪湖の優美な姿が見えてくる。

108話:松本の友人達とのわかれ3

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   また年も暮れて、また新年がやってきた。約十年の松本での転勤生活に、 ピリオドを打つ事ができた。 最後の担当交代の挨拶では印象に残った出来事が三つあった。 一つ目は大手医薬品・卸問屋の所長さんが、あなたの会社で 初めて 仲良し になれ、 やっとパイプができたと思ったのに、非常に残念だと言った。  もう少しいてくれたら、お互いに、もっと大きな商売ができたのにと 言ってくれた。  後任の所長さんにも良く言っておいてくれと言われた。  その際、これは信州の硯、木曽川の天然石から掘り出したもんだが、 北島さんに記念品として送らせてもらうよと、上機嫌で手渡してくれた。    二つ目は中信大学病院の医局の事務員さんとの別れの時、北島さんの 会社の 前任の担当者は今まで医局事務員たちに、ちょっと会釈するだけで 先生の居場所を 聞くだけだった。  しかし北島さんは、もっと深く来るたびに情報を取っていったね。  そんな事は大手メーカーしか、やってないのに、たいしたもんだねと 感心してくれていたそうだ。  医局の事務員さんの、お茶飲み話になっていたと伝えられ、自分の行動 が的を 得ていたんだと思い努力が報われた気がして、うれしかった。  また旅行で松本に来た時は、ここへ顔出しなさいと笑って言ってくれた。  女性は、よく見ているね、また敵に回すと、こんなに怖いものはない。  味方にできて本当に良かった。みなさん、お世話になりました。  三つ目は東京出身で新しもの好きの久光講師。  彼はパソコン大好きな北島に興味を持ち、いろいろ、お互いに勉強し 合った仲だった。   久光先生は、ここでは珍しく純粋な男だった。別れ際に北島君は 久光先生が信州に 来て毎日毎日、仕事に追われて忙しい日々を過ごして いた時に来て、いろんな、 すごい事を提案してくれたり相談に乗って くれたりして、本当にありがとう。  おかげで、この大学は医療界に電子化の先駆け的な病院になり 最近では 大きな企業や 他の大学病院、医療機関から問い合わせが多く、 世の中から注目される様になった。  久光先生(東京の多摩出身)がいつか、もし東京に戻って病院に 就職したら、是

107話:松本の友人達とのわかれ2

 北島は今日は疲れたから帰りますと、あっさり言って数人、 残っていたが全員の勘定を済ませ下島さんのテーブルへ挨拶に行った。  その時、下島さんが家が売れて本当に良かったねと言ってくれた。  契約書には「この契約には、瑕疵条項はありません」と 記しておいたと言った。  瑕疵条項をわかりやすく言うと売買が成立しても買い手保護のために 購入した後、予期せぬ欠点、欠陥が起きた場合、買い主が売り主に売買の 無効、支払金の返還要求や損害賠償を請求できると言う事。  だから何があっても北島君は安心だと笑っていた。  タクシーで、その晩まっすぐに自宅へ戻った。  女房は起きていて瑕疵条項の話をすると、へー、そうだったの 不動産売買って怖いんですねと言い、びっくりしていた。  金額が金額だから、いろいろ、あるんだよと言っておいた。  すると女房が売り手に有利な契約書を書いてくれるなんて、 やり手の不動産屋で助かったわねと言った。  その数日後、どこから聞いたのか長女の同級生のお母さんが家を 訪ねてきて、お宅のご主人、転勤なんですってねと言うなり、 ここの家はどうするつもりですかと借家にするんですか、また、お売りになるんですかと聞いてきた。  よく聞くと何と彼女のご主人はSK不動産の営業部長だというのだ。  私どもが、お手伝いしますから是非ご相談下さいと、 ご丁寧に挨拶してきた。 もう売れましたというと、え、嘘でしょう。  そんなに簡単に売れるはずはないと吐き捨てるように言った。  そこでPTA会長の時、知り合った不動産屋さんに、 うまくやってもらったんですと、にこやかに答えると急に顔が 曇りだして、やり手の人とは聞いてたけれど抜けめないんですねと 軽く睨んだような目で、こちらを見て、帰って行った。

106話:松本の友人達とのわかれ1

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 不動産屋の下島さんから土曜の夜に不動産屋さんの脇のスナックで 飲み会をするとの連絡が入った。参加者は八人。  そして、その日がやってきた。  バスで、そこへ行くと顔見知りの飯田さんPTA副会長の好子さんや 友達が集まっていた。  まず好子さんから北島が花束をもらい照れた。  そして下島さんが北島君の送別会の会を開始すると宣言し 長めの挨拶をしてくれた。  実は飯田歯医者さんには車で二十分かかる所なのだが家族中で 歯の治療してもらっていた。  今日は気分も最高だし歌いまくるぞと全員で乾杯をして歌が始まった。  いつもは静かな人達だが、お酒が入ると人が変わった様に陽気になって 盛り上がる。 こう言うのって好きだな。  ほろ酔いで次々と、いろんな女の人とジルバやチークダンスや、 いろんな踊りを楽しんだ。  また他のテーブルにいって陽気に話した。好子さんが北島に向かって PTAの時に、あんなに堅物の様に見えたのに実際は全然違うのね と言うのだった。  何せ営業マンは相手をその気にさせてナンボ だからねと言うと 会場は大爆笑となった。 更に彼女は続けて 「彼は怪人20面相だ。ある時は営業マン、またある時はPTA会長、 またある時はドンファンといろんな顔を持っている。」 「果たして、どれが本当の顔なのかと、おどけて見せた。」  その話にさっき以上の大爆笑の渦となった。  特に女性達に、おおいに受けた様だ。  宴もたけなわになった後、少しづ帰って行った。

105話:松本の家の売却完了2

 転勤も決まり家も売れて心配ごとをかかえずに、すっきりとした気持ち で転勤できると喜んだ。  早速、翌日、銀行から多額の入金があったと連絡があった。  これで家の売却の件は無事完了。  松本赴任の八年目は毎年、伸び率10%以上で 当初の売上がついに倍増した。  いままで過去にない大記録だった。  この記録を一番喜んでくれたのが入社時に大阪本社で面接した社長だ。  なんと直接、松本営業所に電話をし北島に、おめでとうと言ってくれた。  そして社長のポケットマネーで松本営業所の全員を4泊6日ハワイ旅行 へ招待すると言った。  まさに今までの松本での営業活動が花開いた瞬間だった。  新入の時、横浜で所長がポケットマネーでホノルルで祝賀会を開いた のを思い出した。 それと同じ事を北島は企画した。  この時もホノルルのレストランで祝賀会の時、事務の女の子も含め 営業所全員で乾杯をして喜びを分かちあった。  こんな素晴らしい経験を二度もできて北島は運命という神様に 祈らずにはいられなかった。  この年、業績も認められ社内等級があがり最年少で副部長となった。   更に、この年の臨時ボーナス二百万円、特別報奨金百万円と 通常ボーナス百五十万円、給料六百万円、出張+外勤手当が百五十万円、 合計一千二百万円となり全国の営業所長の最高額。  長野に来て八年もちろん頑張って大学病院を中心に人脈や仲間作りを して中信大学メディカルパソコン研究会も立ち上げた。   これら全て順調に動いたおかげで達成できた記録。  所員には厳しい注文をつけた時もあり、衝突もあったが、 最終的には所員一丸となってなしえた記録だ。  北島はこの出来事を一生の誇りとして決して忘れる事はないだろう。

104話:松本の家の売却完了1

 翌日の夜、PTAで知り合った市内の不動産屋の社長と会って事の 顛末を話した。売買の件は了解したと。  手数料は費用は、いらないから、北島さんのおごりで仲間を呼んで スナックで飲んで歌って盛り上がりましょうと言った。  その費用だけは払ってという条件で無料にすると言ってくれた。  もちろん了解した。  不動産屋さんが必要書類は、また電話で連絡するとの事だった。  その後、家の売買の話をすると、あなたは、さすが営業マン、 良い条件で売りましたねと言い出した。  今そんな高い家なんて、めったに売れませんよ。  転勤族で家を持ったが売れなくて借家にして困っている人が実は 多いんですよ。  どんな良い家でも家賃は10-12万円で、税金や維持管理費用は持ち主 負担でありローン返済が厳しいという話が多い様だ。  その点、北島さんは本当についてるね。  彼は笑いながら4千万円で築六年の家を、もしお客さんから売って 欲しいと言われたら、まず無理と言いますね。  せいぜい三千万円前半が売れる最高金額でしょうねと言っていた。  3日後には必要書類が全てそろった。  北島の友人の不動産屋、女房の友人と親戚の銀行員が同席し 北島と不動産屋の四人で売買契約の手続きをはじめた。  最初に不動産屋さんが書類の説明をして、その条件で良いか売り主 (北島)と買い主(女房の友人)に最終確認をとってきた。  両者が了解し、それぞれ、ハンコを押した。 次に正式には数万円の印紙代が、かかりますが無駄だから両者了解の 上なら片方は、貼らなくても大丈夫だと言ったので了解した。  そして無事、契約が成立した。振込先の銀行口座を教えて終了。  彼女の親戚の人が転勤して住まいが決まったら北島さんの連絡先を 必ず伝えて下さいねと言われ、もちろんですと了解した。  もし何かあったら困りますからと親戚の銀行員が笑って話した。

103話:松本のマイホームを売る2

 その後、珈琲を飲みながら実務的な話になった。  銀行員の方から仲介業者を通すと売り手三%、買い手三%の 売買手数料がかかりますと言った。  そこで誰か不動産業者を知りませんかと北島に言ってきた。  市内に不動産屋を経営してる友人がいますとい言うと、その人に安く 仲介してもらう様に頼んで下さいと言われたので快く了解した。  北島が4800万円で結構ですと言うと、もう少し安くして いただけませんかと言ってきた。  なんとかOKしたいが北島の友人の不動産屋さんや女房と相談して 結論出したいからと伝えた。  来週の日曜日までに結論出すと言う事で了解してもらった。  その週の日曜日、女房の友人と親戚の銀行員がきて話し合った。  北島は女房の友人に、つかぬ事をお伺いしますが、お手持ちの お金はいかほどなんですかと聞いた。  何故、そんなことを聞くのですかというので北島が売買の交渉すると 言っても、あまりかけ離れた値段は出せないので、あらかじめ 知っておきたいと思ったんですと答えた。  すると五千万円弱と言うのだった。それなら交渉になりますと言った。  そして北島が買い値は4600万円、その後、駐車場と外構、 庭の自転車の屋根付き駐輪場と物置と一体になった大きめの倉庫、 庭と駐車場の水道と電気の工事含めて5100万円と言った。   銀行員が4200万円ではどうですかと言った。  北島は4500万円以下は厳しいと答え、実は大学病院の ある先生が 4600万円なら 買っても良いといっているんですよと言った。 次に女房の友人が間をとって4400万円にして下さい ませんかと 言ってきた。  そこで女房と相談するふりをして、ちょっと待ってと言い、 ひそひそ話をした。  すると銀行員が4400万円でお願いしますと頭を下げた。  北島こう言うのに弱いので、わかりましたのと言った。  女房の友人が良かったと言い、彼女が、やっと人並みの生活化できる 子どもや孫とも一緒に住める、夢の様だと喜んでくれた。  思わず北島にも抱きつきそうになってきたので握手をして、 その場をやりすごした。

102話:松本のマイホームを売る1

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 東京に転勤となれば松本の家を売っていかねばならないと 女房と話し合った。  女房から会社の友人一人が最近、宝くじか何か大きな賞金が 入り、今の借家を引っ越して近くのアパートに住んでる娘夫婦と   孫三人と同居する大きな家を欲しがってると言う話を聞いた。   そこで、翌日、女房がその友達にもし北島の家を売るとしたら 買う気あるのか聞いたところ、もちろん買いたいと言ったそうだ。  北島は、その話を聞いて北島家の売却の話を進める事にした。  早速その友達を家に招待して、お話を聞く事にした。  その週の日曜日に北島の奥さんが友人を連れてきて単刀直入に 転勤になるので、この家を売却するつもりだと切り出した。  それを聞いて彼女は、やっと仲良くなれたのに別れるのは 残念だと言い、それで、おいくらで、お売りになるつもり なのですかと言ってきた。  4800万円では、どうかと思っていますと答えた。  欲しいと思ってはいるのですが彼女一人では交渉できないので 親戚の人が銀行で働いているから相談してみると言った。  翌日の晩、電話が入り今週の日曜に親戚の銀行員と 二人で相談に伺いたいと言うので了解した。  その銀行員が家の中を拝見させてから、お話すると言う事で 良いですかと聞くので、もちろんとですと答えた。 まず一階、次に二階、次に玄関周り庭と庭に建てた屋根付き 駐輪場と物置と一体になった大きめの倉庫、庭用の水道と 外の電源、水道などを見せて回った。  銀行員は、さすがにSKSハウスの住宅だ。  うまく造ってありますねと言っていた。  大家族向きで、彼女には、うってつけかもしれませんね と言った。  築5年の割には、きれいですねと言われた。