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98話:松本市PTA総会で司会する3

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 ムードのある曲で歌い込んでる感じで上手だった。  続いて飯田さんが意外にもビートルズが好きな様で レットイットビーを歌い出した。  そして北島が、サイモンとガーファンクルを歌うと飯田さんに うけていた。 副会長の好子さんから、北島に、たまには、日本の曲が聴きたいわと、 言われたので、北島は、ジュリーの「勝手にしやがれ」を歌うと、嘘みたいに彼女たちがのってきた。  そうすると彼女たちがキャンディーズ、ピンクレディーを歌いだした。  北島もジュリーの「時の過ぎゆくままに」など邦楽を歌った。  この人たちは堅い人た達だと思っていたが羽目が外れると、 のりがいいのに驚かされた。好子さんが木綿のハンカチーフを歌った。  そこで北島もフォーク「我がよき友よ」を歌った。  その後、好子さんが「横須賀ストーリー」を歌った。  日頃、几帳面そうで神経質そうな好子さんなのだが、大変身して、 うっとりするような色っぽさなのだ、女は魔物とは、良く言ったものだ、 まさに別人だ。    十二時近くに、お開きとなった。男性二千円、女性千円でOKと、 下島さんが言っていた。まさか領収書を経費で落とすんじゃないのと 黄色い声がとんだ。  領収書もらってないし第一経費で落とすなら全部おごるよと笑っていた。    その後タクシーで、好子さんと相乗りして帰った。  さっきの色っぽい姿を見てをみて、胸の高鳴りを覚える北島だった。

97話:松本市PTA総会で司会する2

 次に教師に対する意見(好き嫌いとか、化粧とか、言い方かきつい とか子どもが泣いて帰ってきたとか・・)ほとんど、たわいのない事 ばかりで、その都度、適当に処理した。  終わりの方で転勤者からの意見として小学校が閉鎖的で考えが古く 現代の流れについて行けてないと言う過激な意見も出てきた。  内心、その通りと思ったが、そんな事は、おくびにも出さず 個人的に思う事があれば、やはり各々の先生と調整する事が 肝心ではないかと 煙に巻いた。  予定の九十分の時間で終了できた。  北島は、うまくできたと内心思った。提出資料を作成し本部に 提出して無事終了した。  その晩に打ち上げで飯田さんと下島さんと北島と、その地区の 女性副会長3人の合計6人で下島さんの行きつけのスナックへくり出した。 まずは皆で乾杯、飯田さんが北島にうまい司会で滞りなく進行できて 良かったと言ってくれた。  下島さんも変な意見もかなりあったが、うまく交わしてくれて 上手な司会だったよとほめられた。 北島と同じ地区の副会長の好子さんが、」うちの会長は できる営業マン ですからねと冗談をとばすと他の地区の副会長の女性達が、良い男だし、 羨ましいわと笑っていた。 そして下島さんが口火を切って懐メロの歌謡曲を歌い始めた。

96話:松本市PTA総会で司会する。1

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 こ の年の秋、周りの山々が紅葉に染まる頃、郊外のY小学校で 松本市のPTA総会が行われた。  各学校のPTA会長、副会長、市のPTA役員、総勢六十人程。  まず分科会に別れ、それぞれ討論形式で議題について話し合った。  北島の振り分けられた教室を三人のPTA会長が分担した。  北島のグループは飯田さん (下越歯科大出身の歯医者さん)、 下島さん(不動産屋の社長)と北島の3人。  担当決めが、はじまり最初に下島さんが書記をしますと言い、 飯田さんが僕は話し下手なので庶務全班をやりますという言った。  下島さんが北島さんは、話がうまそうだから司会と議事進行をして 下さいと言った。  話し合いで決めると言うより、もう既にシナリオは、できていた様だ。  特に北島は司会をするのに抵抗はなかったので了解した。  北島がわかりましたと言うと二人は良かったと笑っていた。    司会って難しいだよね頼むねと飯田さんが言った。  雑用は全部やるから指示して下さいと言ってくれた。  そこで会議で意見を述べる人の所へマイクを持っていく事や 必要な備品を用意する事などをお願いした。  必要資料、用具を集め確認した後、分科会が始まり、まず会議の 進行役の紹介から始まって司会の挨拶を終え会議が始まった。    議題が決まっていたので、それに沿って話し始め最初は交通安全指導の 方法と問題点など意見出て、それを書記の下島さんが書いていった。  中には父母同士のいがみ合いなど関係ない話もあったので、 やんわりと個人間で話し合って下さいと、 しりぞけた。

95話:中信MPCの夏の研修会3

 ただ問題点として、データベース Ⅲの様に、簡単にプログラムを 組めない事やリレーショナル・データベースとしての完成度が今ひとつ である事なども話した。  次にマック用ソフトのロータス123(表集計計算ソフト)を使って データベースを瞬時に並べ替え一つの大きなデータベースから 次々に自分の思い通りの形に加工したデータベースファイルをつくると 言う操作をして見せた。  やはり、すごいねとは言うが、どう応用して良いかわからない様だった。  次に四国の泉先生がデータベースⅢのデータつくりから、オペレーション ソフトをつくる方法を具体的に自分のデータで実践して見せた。  これは、みんなに好評で質問の嵐だった。  考えてみれば中信大の若手の先生がデータベースⅢを頑張って勉強して くれれば必ずマスターできるはず。  それは泉先生が、たった八ヶ月でマスターできた事で証明された。    デモデータベースのフロッピーが欲しいと言う先生が多く北島が隣で せっせとプログラム付きのデータベースのフロッピーディスクをコピーして渡して回った。 そして十時過ぎに終了した。  今回の研修会の総括を久光先生からしてもらった。  四国の先生方の超速の進歩や中信大学の若手の積極的な参加に感謝すると 共に、これが医学の進歩に役立つ事を期待して研修会の終了の乾杯をした。  また今晩も流れ解散となった。  帰りの車の中で久光先生が北島に感謝するよと真面目な顔で いうので思わず笑ってしまった。

94話:中信MPCの夏の研修会2

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 まず四国の先生方からオペレーションプログラム付きのデータベースの 活用例を発表してもらった。  たった九ヶ月で超速の進歩を遂げていた。   もう既に中信大学のレベルと肩を並べる位でだ。  質疑応答を含め二時間、活発な意見交換を行った。  次に中信大学からは各研究班で、データベースの応用例を発表した。  更に、それを東京で開かれた学会の総会で発表した時の 反応も話してくれた。  最近のデータベースの臨床治験への応用が注目されはじめていた。  そのためか医局に頻繁に他大学から質問が入る様になり面倒なので メールで送ってくれる様にした。  北島がマックのカード型データベースの ファイルメーカーの紹介をした。  これはデータベース Ⅲの様に文字データだけでなく画像データも 扱えるのが特長。  充実した研修会だったので気がついたら夜も十時過ぎていたので 研修会は、お開きにして懇親会の大宴会となった。  信州の旨い酒、 「大雪渓」「真澄」「七笑」、新潟の「八海山」 「雪中梅」「越乃寒梅」を持参して飲みまくった。  やはり有名な酒からドンドン空いていった。 十二時過ぎになり流れ解散。  翌日は午前中に四国の先生を諏訪湖の遊覧船に、 ご招待し中信大の先生と歓談した。  昼食をとり午後三時から研修会を始めた。 最初に北島が発表した。  テーマは新しい試み最初に画像データ(レントゲン写真や患者さんの 写真、部位の写真)も取り扱えるマック用ソフト、ファイルメーカー というデータベースソフトを使ったデータベース管理の実例を発表した。

93話:中信MPCの夏の研修会1

 中信メディカルパソコンクラブは最近、充実してきて先生から、 いろんな要請を受けた。  特に多いのがデータベース Ⅲのプログラムを作成方法についてだった。  患者さんのデータベースを作りそれを分析するためのプログラムを データベースⅢでつくりたがっていた。  それによって手術の方法によって、どの方法が一番効果的だとか、  どの薬剤が一番効果があるのなどをか判明するのだ。   八月の中信大学メディカルパソコンクラブの研修会に大学から 北島を含めて十人、四国から三人が、総勢十三人の参加。  いよいよ暑くなり夏を迎えた。今年の中信大学メディカルパソコンクラブ の夏の研修会は八月十八日から二十日と決まり、その日を迎えた。  夏で暑いが諏訪湖を渡る風は、さわやかな避暑地の夏って感じだった。  八月十八日、朝、北島と久光先生と若手の佐藤先生の三人で機材を パジェロにのせて十時に大学を出発して十一時過ぎに会場の旅館についた。 もう既に中信大学の六人が着いており広間で会場の設営を 手伝ってもらった。  四国の先生方は午後一時過ぎに到着予定と電話が入った。  昼には残りの大学からの参加メンバーもそろった。  1時頃、四国の先生方、三人が到着し早速、近くの食堂で 再会を 祝して生ビールで乾杯した。  そこで昼食を済ませ三時から研修会を開始した。

第92話:PTA会長にさせられる2

 しかし、何か、断る大きな理由が見つからず、やむなく 承知せざるを得なくなった。  期限の一週間後、地区会長がPTA副会長候補の好子さんを 連れてやってきた。 珈琲と紅茶を出して話し合いをした。  断りの話をしていた時に好子さんが 珈琲 が好きな様で、これサイフォン で入れてるのとか、議題と全く関係ない事を言うのでサイフォンは 味がうすくなるので濃くでるドリップを使ってると言うと、おいしいわね と言っていた。  だんだん話が本論からはずれて行くのをまずいと思いながらも、 ついつい、のせられてしまった。  次に、話は変わり家を見せてと言われた。一階は畳部屋が10畳 1部屋だけで、ほか全部フローリングなのねと言ってきた。  もし良かったら、他も見せてと興味ありげに言うので、 女房に案内させて 地区会長と話を進めた。  しかし二階の洋室、4部屋、1階大きな風呂で歓声があがったり して話をする様な気分ではなくなった。  最終的に北島が会合に出席できない時は、あらかじめ言っておけば 副会長が代わりに出ると言う事で次期PTA会長を承諾した。  その後も好子さんは完全に住宅展示場見学みたいにシャンデリアや 吹き抜けで歓声をあげていた。  最後は1階の二重サッシを見てすごいけど重くて手が痛くなりそうと 全く余計なお世話だ。  だた、彼女は家の見学会にきたみたいに、はしゃいでいるのを見て 微笑ましかった。  好子さんが最後に医療関係の営業さんって、みんな、やりてなんだから PTA会長だって、簡単にこなせるわよと意味ありげに笑っていた。  5月下旬、小学校のPTA総会が開かれたシナリオ通りの 進行と お話をして無事やり終えた。  校長、教頭からは指示された事を必要があれば各地区に出向いて 小学校の父母に指示を徹底させて下さいとい言われた。  副会長の好子さんからは半年後の十月に松本市のPTA総会が ありますので、それが一番大切な行事です。  松本のPTA総会でも、お決まりの事を話せば良いだけです。  決して出過ぎた真似はしないで行きましょうねと、副会長から 念を押された。  何か子どもが人質になってる様な気がし

第91話:PTA会長にさせられる1

 降ってわいた様な、話が舞い込んできた。     今年は娘の通う小学校のPTA会長選挙だ。  今年は北島の娘の通っている小学校のPTA会長を選出する年なのだ。  この地域は地元の人が多く大きな敷地の家が多い。  昔からの商売人とか近くの工業の取締役とか豪農の人が多い。  しかし高齢者が多く彼らの子供達は、便利な松本駅前のマンションに 移り住んでるケースが多く毎年PTA会長の選出に苦労している様だった。  そして地区会長が六十才以下のいる家をくまなく訪問して回るのだ。  朝早く電話が鳴り地区会長が訪問したいのだが、あいてる日を 知らせてくれと言われ、今週日曜と言った。  北島家も娘二人が通っていたので訪ねてきた。  正直に営業で県内を飛び回っているので忙しくて PTA会長はできないと答えた。  その二週間後また町会長が別の役員さん二人を連れてやってきた。  高齢者と商売人が多くサラリーマンが少ないので協力して 欲しいというのだった。  小学校の娘がお父さん何やってると先生に聞かれ、薬の営業マンを して、近いうちに営業所を作りたいみたいだと言ったそうだ。  それで営業マンをやっていることが知れた様だ。  その話のうまいところを生かしてぜひともPTA会長を やってくれとの言った。 北島が忙しくて出られない時は、どうするのか聞くと 優秀な副会長として農家の奥さんで看護婦をしてる人を お願いしてるから、どうしても北島さんが出られない時には 替わりに彼女に出てもらうと言った。 北島が県外のよそものなので、まずいでしょと言うと、 かえって、しがらみがないから良いんですよと言ってきた。  とにかく女房と相談してから答えると一週間考えさせてくれと言った。

90話:中信MPC、冬の研修会2

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 翌朝は十時から動き出した朝食後スキーをしたいと言われ 北島と若手の佐藤先生が四国の先生方にスキーの基本を教えた。  昼食後も四国の先生方は夢中になってスキーをしていた。  その中の二人はリフトに乗って初心者コースを、 プルークボーゲンで 滑り降りてきた。  そして残りの先生もプルークボーゲンができる様になり 初日のスキーレッスンを終えた。  宿にもどり早めの夕食をとり昨晩の続きをはじめた。    データベースの基本的な使い方は、理解した様で北島たちが 持参したデモデータを使い久光先生が練習問題を出して 四国の先生方に考えてもらった。  理解が早く、すぐにマスターしていった。  持参したデータベースの参考書をぜひ譲って欲しいとの要望だった ので売って差し上げた。  夜も更けて勉強会はお開きになり宴会となった。  中信大学はパソコンの使い方では、すごいレベルですねと驚いていた。  久光先生が北島に気を遣い北島君が、いろんな資料やデモデータを もっていて利用させてもらい、ここまで来たんだと言ってくれた。  翌日は吹雪模様だったので四国の先生方は十時過ぎに宿を後に 北島と久光先生がパジェロで最寄りの駅までお送りした。  泉先生から、また教えてもらい事があったらメールしますから 宜しくと言っていた。  本当に喜んでくれた様で帰り際に駅で北島達を交代でハグしてくれた。  久光先生から中信大学病院でも勉強会を計画した方が 良いという話が出た。  早速、先生方の時間のある夏休みとか冬休みで調整してみるから、 その時は北島君手伝ってくれよと言われ快諾した。 また新年となった。また今年も元日に初詣をした。  初出勤の日、恒例の善光寺参りで昨年の年収は全員が 過去最高だった様で喜んでいた。  また松本に営業所ができて今年は仕事を頑張るぞと士気が 上がっていたの言うまでもない。  今年は昨年以上に大学病院や派遣病院でも当社の営業マンと 先生方の関係は密になり業績も順調に推移していった。  久光先生から夏休みに諏訪で中信メディカル・パソコンクラブの 勉強会 をしたいとの話があり、八月盆過ぎ二泊三日で計画したいと連

89話:中信MPC、冬の研修会1

 ある日、中信大学病院の久光講師から電話が入った。  先月の学会で四国の先生から臨床データの効果判定にデータベース Ⅲを 使う方法をぜひ教えて欲しいと話してきたというのだ。  ついては白馬あたりで泊まり込みで研修会を開いて欲しいと言われた。  四国の先生方は勉強会の後にスキーと温泉も楽しみたいと言ってきた。  総勢は中信大学病院の二人と北島、四国の先生が三人の合計六人。  至急、手配して欲しいと要請を受けた。  以前、家族と行った白馬さのさかスキー場が頭に浮かび連絡し 予約できた。  年末の十二月二十六日から二十八日の二泊三日。  当日早く大学へ行き機材をパジェロに乗せて久光先生と 佐藤先生の三人で出かけた。  十時に着き宿に入り大広間にパソコンセットを設営した。  四国の先生たちは午後三時過ぎに着くとの連絡が入り昼食をとって 勉強会の進行の仕方やリハーサルをした。  温泉に入り一休みしていた頃、四国からの3人の先生が到着した。  A温泉病院の泉先生、葉山先生、寺田先生の三人だった。  まず泉先生が北島たちの作成したデータベース・データから、 どんな事がわかるのか見解を聞きたいと言ってきた。  早速フロッピーをもらいディスプレイに表示し久光先生が データベース Ⅲのデータに不備がない事を確認し、知りたい 所の項目で 並べ替えをして見せた。  対象となるデータだけを抜き出して更に他の いくつかの項目で データを並べ換え泉先生の希望するデータ整理ができた。   彼らは喜んでくれたが、いとも簡単に、やってのけたので驚いていた。  その後、大きなデータベースから必要とするデータを分離する ための プログラムなどを実際につくって見せた。  そのプログラムをフロッピーにして欲しいとの要望で渡す事にした。  夕食は売店で買ってきて食べる間も惜しんで話は続いた。  参考になる本の紹介や中信大学でのデータベースの 利用状況なども 紹介した。 十二時過ぎまで勉強会は続いたが流れ解散となった。

88話:上山田温泉で芸者をあげる2

 北島が支払いはと支店長に伺うと東京支店の方に請求書を まわとしてと、 言った。  詳しく聞くのは失礼と思い、お礼だけを述べた。  その後、清水君の耳に支店長の武勇伝が伝わった様で 偉くなる人は元気でスタミナ抜群なんですねと言っていた。 そう言う話は広がりやすいので、もちろん口止めしておいた。  松本赴任の四年目は松本営業所を開設し売上も 三年連続十%以上と絶好調だった。  今年の臨時ボーナス百七十万円、報奨金五十万円と 通常ボーナスが百二十万円、給料が五百五十万円、 出張+外勤手当が百四十万円、合計一千三十万円と ついに念願の一千万円を超えた。  北島がプロの営業マンとして、やっと認められたのだと思う と数々の苦労が走馬燈の様に頭の中を駆け巡るのだった。  思えば身重の身体で転勤して一週間出張で家に帰れない日々を 愚痴もこぼさず、子供の病院、幼稚園、買い物、炊事、洗濯を して、家を守った女房の給料も、この中に入っているんだと 思うと自然とあついものが、こみ上げてくるのだった。

87話:上山田温泉で芸者をあげる1

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 夏が過ぎ九月の下旬に東京の支店長から  松本営業所開設の祝賀会をするから用意する様に と言われ、当地に詳しい長野担当の清水君に、上山田温泉での 宴会の席と 宿を予約してもらった。  当日、四時過ぎに支店長が、お見えになり、ゆっくりと温泉に つかっていただき、夜六時から念願の祝賀会が始まった。  松本営業所の四人と支店長の五人で芸者さん五人がついて もらい 宴会が始まった。  乾杯で今夜は無礼講という事でみんな盛り上がった。  芸者さんの歌や踊りが披露され、みんな喜んでくれた。  そのうちに宴会がお開きになりカラオケに行く人や  温泉に入る人芸者さんともっと遊ぶ人に分かれ楽しんだ。  その後、清水君が支店長のお供をして面倒を見てくれていた。  後日談だが、支店長が、もっと芸者さんと遊びたいというので 清水君が一晩中つきあってくれる芸者さんの事を思い出し手配した。 支店長が眠い目をこすりながら起きてきた。  楽しんでいただきましたかと北島が聞くと良かったよ、と言った。  噂が耳に入る程、昨晩は、大活躍した様で支店長は満面笑みで 上機嫌だった。  つき合ってくれた芸者さんが、あんなお強い人の接待は大変でしたわ、 と 笑いながら京都弁で清水君に話した .

86話:松本営業所の開設2

  農協の吉田部長が不動産仲介というのは信頼関係なんで、 知らない方と 簡単に商売をするという訳にはいかないんだと言った。   しかし地方の営業事務所というのは物件が動かないと困るし、  今までの取引がない企業も心配だと言っていた。  そこで北島が車の中から大学病院で使っている薬のパンフレットや 企業パンフレットで売上高や純利益などを説明した。  すると了解したと言い、取引できずに在庫抱えれよりは直ぐに、 新しい 会社が 事務所に入ってくれた方が良いから紹介しようと言ってくれた。  その事務所は長野県で一番の銀行の物件。  北島がローンを組んだ銀行は二番目の銀行だ。  つまりライバル銀行だったのだ。   吉田部長が意を決して事務所の持ち主の銀行に電話を入れてくれ、 その銀行へ行き事務所を借りる手続きの書類をもらってきた。  その書類を北島が本社に送り、数日後、その銀行から手続きが 終了したので来月から入居してくださいと電話連絡が入った。  これでめでたく、松本営業所が新設できた。  この数年の北島のチームの努力が、花開き、ついに、 実をつけた瞬間であった。

85話:松本営業所の開設1

 本社 からの電話で今年の三月に、もう一つの念願だった 松本営業所設立の許可が下りた。  どこに相談するか迷ったが、最初に家のローンを借りた銀行に相談した。  その銀行では、松本では県内で一番の銀行が一流企業を選んで銀行の 持ちビルに入居させる場合が多い。  そこが一番格上だと教えてくれた。  しかし、その銀行は当行ではないと言った。  そこで何とかしてほしいというと農協の知り合い紹介するから、 そっちで聞いた方が良いと言われた。  早速と農協の担当者に電話を入れてくれた。  その名刺をもらい会いにでかけた。  農協の窓口で要件を話すと担当の吉田部長が出てきて、  開口一番あなたは運がいいね。  ある会社が松本市の郊外の営業所から松本駅前に移動する話が、  さっき入ったばかりだと言うのだ。  そしてジャパン製薬の北島ですとあいさつし名刺を渡した。  あなた会社について確認してみるから少し待ってと言われた。  二十分後、確認は取れましたと言ってきた。  その後、担当者が再度、紹介してくれた銀行の方の名刺の コール裏を 見て何だ、あなたがあの一軒家を買ったんだ。  へー若いのに、 あんな豪華な住宅を良く買えたねと驚いていた。

84話:サリー先生との別れのキス2

 サリーのスピーチは、とても面白かった。  北島はグラマーな女性がタイプでサリーはタイプじゃないと言った 事をいつまでも根に持っていた様だ。  この話を会社の仲間が聞いて大笑いしていた。  サリーは自分のスピーチが受けたと思い大はしゃぎだった。  タクシーでサリーを送って帰ろうとした時、サリーが運転手に ちょっと待っててと言い、かがんで、もたれかかる様にして 北島をハグしてながらキスをしてくれたのだ。  その時のキスの味は一生忘れないだろう。  そんな思い出と共に新年を迎えた。  今年も営業メンバー全員で善光寺参りをして仕事始めとなった。  それぞれ、お参りをした後、昼食をとりながら今期は昨日まで 実績で全国二位の伸び率である事を報告した。  あと一歩で全国トップになれるので頑張っていこうと言う とみんな、やる気満々だった。  中信大学病院でも学会のスライドつくりにMACが大活躍していた。   北島は先生方からの質問も多く手際よく、多くの先生に教えて回った。  返ってくる反応も良くまた頑張って使うからねと笑って答えて くれる先生が多くなってきた。  大学も派遣病院も売上は順調。    そして二月に売上コンクールで、ついに、伸び率トップとなった。 あと一ヶ月トップで逃げ切れば松本営業所の立ち上げが現実となる。  いつのまにか、信心深くない北島も、この時は近くの神社に 願をかけに行った程だった。  その甲斐あって、この年は、ついに伸び率、全国トップを 手にしたのだった。

83話:サリー先生との別れのキス1

 今年の営業所の忘年会は松本城の近くの 「しづか」で一次会して 二次会はスナック中町、ゆかりママの所へ行った。  ここまでは例年通りたっだのだが、そこへ珍客が現れたのだ。  その珍客とは英会話教室のサリー先生だった。  何でも今年いっぱいでカナダに帰るので、その挨拶に来たと言うのだ。  それを知ったゆかりママが気を利かして呼んだ様だ。  そして北島が会社の仲間にサリーを簡単に紹介した。しんみりとした  送別会にしたくないので陽気に飲んで歌って大宴会となった。  また、いつもの様にサリーは、かなり飲んで上機嫌だった。  ついに北島の事を英会話学校でのニックネーム、 ミスター・ノーと呼び始めた。  英会話教室でサリー先生が生徒に意見を聞くと日本人の生徒はYesと 最初に言ってから話し始めるの人が多かった。  しかし北島はつむじ曲がりで最初にNoと言ってから話を始めるので、 ついたあだ名が「ミスター・ノー」なのだ。  サリーの北島への第一印象は奇妙な日本のサラリーマン だと映ったらしい。  しかし親しくになるにつれ、率直にものを言う頼れる お兄さんになったそうだ。  そしてサリーが祖国、カナダに帰る理由を聞くとサリーの 恋人が監獄から出所してくるからだと言う。  詳しく聞くと喧嘩で怪我させた相手が、よく調べてみたところ、 お尋ね者で更に相手の方が先に殴ってきたことが判明した様だ。  そ のためサリーの恋人の懲役五年が一年に短縮されたためらしい。  サリーは、ちょっと前まで中国人、韓国人、日本人の区別もできない 様なカナダ人だったと言った。  しかし日本に来て日本が先進国である理由が日本人と接して 良くわかっとの言うのだ。  勤勉で人に優しい良い人ばかりだと言ってくれた。

82話:松本での家を買う2

  北島が担当者に詳細を聞くと大丈夫ですの一言。 無事、購入となった。   その後、銀行でローンの相談。北島さんなら一千万円までしか 融資 できませんが奥さんの両親が保証人なら五千万円まで貸せると言うのだ。  これで松本に、あこがれの戸建てのマイホームを手に入れた。  しかし、その後、冬将軍との闘いや凍結、湿気との対決が待ち 構えている事を想像できない程、夢ごこちの北島だった。  この冬、松本の厳しい冬将軍の攻撃が容赦なく半年も続いた。  灯油の消費量が多く厳寒期は五百リットルの屋外タンクを満タンでも 一ヶ月持たず補充する有様だった。  家の庭には巨大な霜柱がびっしりと立った。  引越して近くの小学校と保育園に入学、入園の手続きを取った。  女房がローン返済のために働かかなきゃ大変でしょと言い、近くの 大手電機メーカーの工場の下請けの会社に就職した。  朝八時に北島が一番下の息子を保育園に送り、すぐその後、 小学校の娘と女房が家を出る。  また夕方、小学校の娘が交代制で一番下の弟を保育園に自転車で 迎えに行く生活が始まった。  四~五月の桜のシーズンになって朝の霜がなくなると若葉が芽を出す 良いシーズンが始まる。  女房も働いて数ヶ月たって何人が友人もできた様で楽しく働いていた。