第2話 新潟営業所での歓迎会


ある営業マンの転勤先での、奇想天外な出来事

第2話 新潟営業所での歓迎会
 早速、歓迎会の席で、北島は、今後の活躍に期待して欲しいと
強気の挨拶をした。
すこし、酔いが回った、山下君が、北島君、ここは、都会みたいに、
甘くないぞ。
冬になれば、良くわかるはずと、意地悪そうな顔で語った。
彼は、入社当時、出身地の関西の営業所を希望したが、
願い叶わず、新潟へ来た、苦い思い出があったのだ。
彼自身が、冬の日本海の厳しさは、誰よりも、実感していたのである。
例えば、冬に、佐渡へ、フェリーで、渡り、出張した時、 
日本海が荒れて、佐渡で、1週間以上、足止めになったり、
また、新潟から、佐渡へ、長期間、渡れない事が数回あった。
そんな、辛い日々を何度も経験したのである。
都会で、評判のエリート営業マンに、ライバル意識を、
むき出しにするのも、無理からぬ事であった。

女子社員は、そんな、北野君に興味津々であった。
1年先輩の鈴木君は、クールに、北島君、お手並み拝見しましょう。
ただ、ここは、そんなに甘いところじゃないよと、
不敵な笑みを浮かべていた。
鈴木君は、いつもの低姿勢で、先輩、宜しく、
いろいろ教えて下さいねと。しおらしく、お辞儀をした。

2次会は、山田所長の行きつけのスナックあゆみ。
夜10時をとうに過ぎ、人通りも少ない、裏通りに、
新潟には、似つかわしくない、派手な店構えで、
一目で、わかる店であった。ママの名は、かずみ、
この界隈では、ちょっと、有名なママである。

あら、所長! 前、言ってた、できる若手の方って、この方ですか?  
良い男ね、営業さんは、もてなきゃね。第一次審査、合格!と。

この夜は、かなり、酔いが回って、饒舌なママであった。
ママから、歌ってと言われると、すぐ、北島は、マイクを取り、
お得意の、スタンバイミーをうたった。
所長と、ママは、曲に合わせて、踊り出していた。
その有様は、ママが、リードして、酔った所長が彼女に、
抱きつい踊っていると言った方が、良いかもしれない。
曲が終わると、今度は、お返しとばかりに、ママが、踊りやすい、
コーヒールンバをうたった。
北島が、座ろうとしたとき、アシスタント・ママのヒトミがさっと、
北島の手をとって、一緒に踊り出した。
2人のステップの上手さに、スナックの店内がしーんとなった。
会社の女子は、びっくりしたような目つきで、眺めていた。
そうこうして、12時頃に、おひらきとなった。
帰り際に、北島の手相を見た、ママが、所長に、彼には、女難の相が、
あるから、気をつけた方が良いとそっと、ささやいた。

当時の日本中はバブル景気の最中であった。我が社も、
転勤手当が月給の3ヶ月分支給された。
引越費用は、会社持ち、転勤先の家賃補助も、平社員でも、
6万円支給される。
また、北国には、地区によって、10-3月の半年間、
5-10万円/月の寒冷地手当(暖房手当)が出た。
加えて、給与と、年1回12月の通常のボーナス。
特に、業績の良い年は、会社の利益目標を超えた金額を、
全国の営業所の実績配分で、支給するという、
特別ボーナス(最近は、通常とほぼ同額)が
4月支給されるという恵まれた環境の時代であった。
単身赴任にもかかわらず、北島は、毎日、のりのきいたシャツで、
颯爽と、出張、営業活動を続けていくのであった。


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