横田基地所属の米兵の被災地でボランティア

横田基地所属の米兵被災地でボランティア
北関東に甚大な被害をもたらした、先の「平成27年9月関東・東北豪雨」。
発生から間もなく、救援活動に励むボランティアのなかに、横田基地所属の
米兵たちの姿があった。救済活動のプロ集団有志60名が立ち上がった

「50年に一度の大雨」と伝えらえた栃木県では、およそ350地点で
地滑りや土砂崩れが発生。
消防、警察、自衛隊、さらには全国からのボランティアも加わり、
総動員で救援活動が行われていたことをニュースで目にした人も多いはず。この未曾有の災害に駆けつけたもうひとつのチーム。それが、
在日米軍横田基地第374施設中隊の有志60名だ。彼らは自家用車で
鹿沼市に駆けつけ、9月13日から15日にかけて、
3日間に渡って復旧活動に加わった。

米軍横田基地の情報によると、もともと彼らは災害地の復旧活動にあたる、いわばプロ集団。被災地入りした隊員たちは、複数のチームに分散して
作業を開始。地元農家の敷地に流れ込んだ土砂や倒木を掻き出し
土砂で詰まった灌漑水路を修復していった。
活動の拠点となった鹿沼市立加園小学校では、校舎に堆積した
土砂を取り除き、近隣住民と協力して路面の復旧に努めたという。
ちなみに、米兵らは作業活動中、小学校の体育館の一角を曲がりして、
寝袋で寝泊りしていたそう。

自分を育ててくれた街の被害に「いてもたってもいられなかった」今回の支援活動の発起人Marco Furlan Kaneko隊員は、グアテマラ人の父と日本人の母を持ち、鹿沼市で育った。幼少期を過ごした鹿沼市の被害に「いてもたってもいられず『立ち上がろう!』と仲間たちに呼びかけた」と、ニュースから流れる豪雨被害を目の当たりにした夜の Kaneko隊員心境を、米軍横田基地の公式ページは伝えている。「困っている人々をただ見過ごすなんてできない」鹿沼で生まれ育った、彼らをはじめとする日系隊員たちの“地元愛”が、今回の支援活動を後押ししていた。

60名のボランティア隊員を指揮したのは、Korrine Takeyama少佐
(写真右)。


「救援活動のために日頃から訓練をしているので、
必ずや役に立てると思いました。
本当なら100%復旧するまで協力したいところですが、
許されているのは3日間だけだったので」実際、施設中隊の司令官が
彼らに許可したのは48時間のみだった。
だが、なかには休暇を返上してまでボランティア活動を続行した
隊員もいるとTakeyama少佐は語る。誰もが、自ら志願して鹿沼市復旧に
駆けつけたことに、誇りを感じているという。

伝えていきたいボランティアスピリット
作業最終日となる3日目の朝、加園小学校はボランティアクルーを招待。学校長は感謝の気持ちをこう述べた。「困っている誰かのために自分が動く。隊員たちのボランティアスピリットを生徒たちに伝えていきたい」彼らの活動が大きく報道されることはなかったが、被害にあった方々や地元自治体のTwitterをはじめSNSを通じて、在日米軍有志による復興支援への感謝の波が
拡散している。  横田基地での、報道を参照しています。




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