第六話:アメリカンスクールで、柔道を教える。
右前(Good)、左前(Bad) i n Judo.
また、その数週間後、あの友人から電話で、アメリカンスクールで、
柔道の指導をしてくれないかと言われた。
そこで、休みの日に、柔道着を持って、でかけていった。
元町の丘の上のアメリカンスクールで、小さい道場というか、
畳の敷いてある場所があった。
そこ6人(女の子3人、男の子が3人)柔道着に着替えて
正座で座っていた。私も、早速、着替えて,挨拶した。
ただ2人が、柔道着の上着を、左側を上に、着ていたのであった。
日本では、死んだ人に着せる着物が、左側を上に、着ると言う
決まりになっている。
そこで、みんなに、縁起が悪いので、絶対に間違えない様に、
言いきかせた。
この件については、みんな、一様に驚いていた。
続いて、私が、受け身の仕方を見せて、
同じようにやるように言ったところ、受け身は、
知らないというのである。
そこで受け身は、準備運動であり、頭や首、怪我防止のために
重要だと教えた。
それに対し、柔道とか、格闘技は、攻めでしょうと、
彼らが、言ってきたのである。
その基本的な、考え方が、全く、間違っていた。
柔道は、基本的に、敵から、身を守るもので
あって、自分から攻撃するものだと教えた。
そう言うと、皆、不思議そうにしていた。
こんな基本的な事で時間とってたら、
まずいと思い、とにかく、受け身を教えた。
ただ、これに、ことのほか、これに、時間がかかってしまた。
次に、教えてもらいたい技を聞くことにした。
背負い投げ、一本背負い、内また、払い腰、巴投げ、
みんな、派手な技ばかりであった。
とりあえず、担ぎ技(背負い投げ、一本背負い)を教え、
次に、跳ね技(内また、払い腰)を教えた。
巴投げは、首を痛めると大変なので、教えなかった。
夕方になって、終わろうとすると、ある女の子が
寝技を教えろと、言ってきたのである。
内心、うれしがったが、実際に、練習中に、下半身の
制御がきかなくなったら困るので、どうしようか、悩んだ。
しかし、教えてコールが多いので、教える事にした。
寝技の動きの素早さと、不思議さに興味を持っている様であった。
そこで、基本的な、けさ固めと、上四方固めを教える事にした。
まず、自分かけて欲しいというので、男女、交互に教えた。
そして、女の子を抑える時に1人、
何もつけてない子がいて、驚いた。
その子がまた、グラマーで、プリンプリンなのである。
嫌な予感がしたのだが、冷静にと心に言い聞かせ、教え始めた。
そのグラマーな子は、最後であった。
けさ固めも最後の、その子の番になった。
抑えてみると、何とも言えない、良い匂いがして、
また、上から下半身を固めていたので、上半身の柔道着の間から、
彼女の豊満で上を向いたバストが、しっかりと見えるのである。
見ないようにすればするほど、私の目が、
その一点に吸い寄せられるのであった。
あーまずいと思った時は、もう既に遅く、
私のピラミッドが立ち上がり、始めたではないか。
深呼吸をして、少しなだめて、終えることができた。
その後、トイレに駆け込み、なだめてから、
何食わぬ顔で、もどってきて、今度は、上四方固めを始めた。
その時である、私は、黒人を差別する気はないが、
体臭は別だ、とにかく臭いのである。
上半身を抑えるので、もろに体臭が、私の鼻に、
容赦なく入り込んでくるのであった。
そこで、臭い男の子は、抑えたらすぐ、交代し、
臭くない子の時に、技のポイントを説明するようにした。
そして、また、あの子の番が来た。今度は、上半身に
覆いかぶさるように抑えるので、彼女の16インチ砲、
2つが、私の胸の下にあるのである。
考えただけでも、鼻血が出そうだが、ぴったり身体を合わせた
もんだから、大変、私の機関銃が大きくなってきたのである。
その位置はというと、彼女の頭の上、髪の毛の上である。
何とか悟られないようにすると、腰が引けた変な格好になるので、
困った。
そこで、やむなく、畳に、強く、押し付けると言うか、押し曲げた
のである。そして、何とか、彼女に、悟られないようにした。
しかし、この状態では、立ち上がれないのである。
そうこうしているうちに、時間ばかり過ぎて、みんなに変だと
思われるので、知らないうちに、上四方固めからの変形ということで、
いろいろな固め技に、変形させて、時間稼ぎをした。
それを、みんなが、なんと熱心な、先生だろうとか、
喜んでくれたのである。
何とか、ちょっとかがんだ姿勢で、腰を引きで、私のピラミッドが
目立たないようにしたのであった。そして、無事、
練習を終えることができた。
彼と付き合って、1年が過ぎようとした頃、彼との別れが、
突然やってきた。
彼が、高校2年時、飛び級で、高校3年になり、受験資格を取り、試験で
合格し、ボストン大学に入学することになったとのことであった。
彼とは、いろんな議論をして、時には、激しい口論となった
こともあったが、フランクで、いたずらっ子の様なオチャメな所と、
裏腹に、悪賢い、側面も持つ、ユニークで面白いやつだった。
そして、ボストン大学に合格して、ボストンへ単身で行ってしまった。
帰り際に、彼が、私に、本当に面白い1年だった。
この思い出は、多分、一生忘れないと言っていた。
私も、全く同感であった。
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