日本のうまい酒13:諏訪の麗人
諏訪の地に麗人が創業しましたのは、今を遡ること二百余年、
寛政元年(西暦1789年)のことです。寛政元年(西暦1789年)
といえば、ヨーロッパではフランス革命が勃発し、アメリカ合衆国
では憲法が制定されジョージ・ワシントンが初代大統領に就任しました。
麗人は、アメリカ合衆国とほぼ同じ長さの歴史を持つという
ことになります。

麗人酒造株式会社の蔵の建物の一角には、創業当時の大黒柱が
今でも残っています(左は寛政元年(西暦1789年)当時の大黒柱)。
この大黒柱には、酒造りの神様として知られる京都の松尾大社の銘が
入っています。これにより、この大黒柱は、麗人が二百余年続く
造り酒屋である事実を証明する、歴史的な物証ともなっています。
霧ヶ峰の伏流水に育まれた水の蔵
麗人酒造の所在する諏訪盆地は、フォッサマグナ(中央大地溝帯)
の上に所在し、諏訪湖、上諏訪温泉等に恵まれた
風光明媚な高原(海抜759メートル)です。
諏訪盆地一帯の大地溝帯には、霧ヶ峰高原(海抜約1900メートル)
に降り注いだ雨が、非常に長い時間をかけて地中で浄化された水が、
伏流水となって流れ込んでおります。麗人の蔵の中の井戸には、
その伏流水が、毎分150リットルあまり、止むことなく
涌き出ております(右は霧ヶ峰の伏流水を湛える麗人の井戸)。
この井戸の水は、仕込みから製品になるまでの間に大量の水を
必要とする日本酒造りの源として、創業より大切に
受け継がれております。
古酒の蔵:江戸時代までは古酒ほど貴重だった。
江戸時代の食に関する辞典「本朝食鑑」(1695)は、古酒の造り方に
触れた上でこう書いています。
その三、四、五年を経た酒は味が濃く、香りが美しくてもっとも佳なり。六、七年から十年にもなるものは、味は薄く、気は厚め、色は深濃で、
異香があって尚佳なり。
といった川柳も見えます。下戸でも、古酒の口当たりのよさに
つい飲み過ぎてしまう…それほど古酒は旨いというわけです。
さらに溯れば、鎌倉時代の日蓮上人の手紙には
人の血を絞るがごとき古酒と表現しております。
また、酒の達人・作家の開高健は、この古酒を、こう絶賛しています。
日本のオールド(古酒)は、ホント、いいぞ。日本民族であることに、
誇りを覚えたくなる程だ。
江戸時代までは、実際、長く寝かせた酒ほど貴重とされ、
熟成年数に応じて値段も高く取引されていました。
なぜ古酒が姿を消したのか:その古酒が、明治期に入り、忽然と姿を
消した理由としては、酒税の影響が最も大きなものです。
とりわけ明治政府が課した「造石税」は、それで日清、日露の戦費を
賜ったといわれるほど過酷なもので、酒造家は酒を造るだけで課税され、
酒を熟成して美味しくして販売する余裕がありませんでした。
また税もかなり高額でしたので、当時の酒飲みの多くは「ひたすら酔う」のが目的で、味よりも量が主眼、割高につく長期熟成酒は自然と消えて
いってしまいました。
日清、日露の戦争が日本酒から「酒の文化」を奪った
といってもよいでしょう。
古酒は体に優しい酒:古酒は飲み方も多様で、「冷や」でもよし、
「燗」をつけて飲んでも美味しい。しかも、古酒は身体にも優しい。
新酒に比べ、熟成を経た酒はアルコールと水の分子が完全に融合して
一体化する。そのため内臓の粘膜への刺激も少なく、かつ体内に吸収さ
れてからの分解速度も速い。多少飲み過ぎても、宿酔しにくいという。
<以上小学館 古酒入門より>
文化の香りあふれるロマンの酒 古酒
世界の文化の発達した所には、必ず素晴らしい古酒が存在します。
フランスのワイン、コニャックしかり、スペインのシェリーしかり、
ポルトガルのポートワイン、イギリスのスコッチ、中国の招興酒…。
それぞれがその国の文化の香りあふれる素晴らしい古酒です。
麗人の古酒の歴史:日本酒に文化を!…麗人酒造が意識的に古酒の蓄積を
始めたのは、昭和47年(1972年)でした。いつ発売できるか
分からない。はたして美味しくなるのか?
試行錯誤の末、30年の年月が経過しました。ようやく大吟醸の25年
古酒、シェリー酵母をつかって熟成した21年の純米古酒、
22年ものの酒粕からの焼酎を販売できるようになりました。
また最近の研究で、古酒の方が体内に発生する「活性酸素」の量が
少ない(東京農業大学 吉沢潔教授のお話より)といわれており、
注目されております。
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