うまい日本酒の話1:越乃寒梅


私は、横浜で育ち、65年生活しています。
横浜は、昔は、日本の海の玄関である横浜港から、
世界中の情報や、商品が入ってきました。
そう言う理由で、私も、15歳の頃から、コーヒ-、紅茶、ケーキ、
中華料理、イタリア料理、フランス料理、スペイン料理、スイス料理、
インドカレーなど、海外製品を好んでおりました。

そう言う理由で、20歳を超えて、お酒は、洋酒が好きで、スコッチ、
バーボン、ラム、ジン、ウオッカ、ブランデー、シェリー酒、
ワインを飲みました、
今でも、ラム酒、アルマニャック、シェリー、ワインは、
常に用意しています。

最初は、日本酒は、甘さと、刺激のなさで、あまり好き
ではありませんでした。
ところが、新潟への転勤で、地元のお酒を飲む機会が増えて、
いままで飲んだ
日本酒とは、全く違う、飲みやすい日本酒にであい、
飲むようになっていきました。
2年後、今度は、長野県に転勤になり、新潟の酒とは、
全く違う辛口のコクのある日本酒に出あう事になったのです。


糖分が多ければ甘く感じ、糖分が少なければ辛く感じます。
日本酒度は糖分の多い物がマイナスに、逆に糖分の少ない物が
プラスとなります。
つまり、マイナスの度合いが高いほど甘口となり、

プラスの度合いが高いほど辛口という事になります。

日本酒度表:Japanese sake schedule

+6.0以上       大辛口(VeryDry)
+3.5~ +5.9     辛口(Dry)
+1.5~  +3.4    やや辛口(SlightlyDry)
-1.4~  +1.4        普通(Ordinary)
-1.5~  -3.4    やや甘口(SlightlySweet)
-3.5~  -5.9      甘口(Sweet)
-6.0 以上              大甘口(VerySweet)

日本酒を紹介していきたいと思います。
最初は、新潟の三大銘酒の中から非常に有名な、越乃寒梅から紹介します。


越乃寒梅(こしのかんばい)- 石本酒造(新潟市江南区)
Kosinokanbai-IsimotoBrewery(Kounan Niigatacity)

新潟市のほぼ中央に位置する亀田郷。
阿賀野川と信濃川に囲まれた砂丘地が、越乃寒梅のふるさとです。 
亀田郷は、阿賀野川を水系とした豊富な良水、また低温環境を
作り出す冬の雪に恵まれた、まさに酒造りの好適地といえます。

石本酒造の工場

そんな亀田郷は、江戸時代からの梅の名産地でもあります。初夏に大きな実をつける「藤五郎梅」の畑は、初春の残雪の中、可憐な花に彩られます。寒さに堪え、凛とした美しさを放つこの梅の花が、越乃寒梅の名の由来です。 酒を愛し、梅を愛でる亀田郷。石本酒造は、今日もこの地で、越乃寒梅を醸し続けています。
Manjia:石本酒造のフレンチレストラン

「農作業に励む亀田の人々に喜んでもらえる酒を造る。」
明治40年、石本酒造の越乃寒梅は、そんな素朴な想いの下に生まれた。
やがて、数々の品評会で注目されるようになり、蔵は一歩一歩成長。

きた山:石本酒造の日本食レストラン


しかし、昭和に入り相次いで起こった戦争の影響は、酒造業界にも及び、
石本酒造も、一時日本酒の製造ができなくなるなど苦難の日々を送った。
終戦を迎えても、満足に米が手に入らず、精米歩合に制限が設けられるなど、過酷な状況が続く。それでも石本酒造は、「どうせ少量しか造れないなら、喜ばれる酒を造りたい。」と、白く白く米を磨いた。

そして高度経済成長期が訪れ、日本酒も大量生産の時代へと向かった。
甘口が好まれ、造れば売れる時代だったが、石本酒造は
「キレのある飲み口の良い酒」を貫き、蔵の規模に見合った量を造り続けた。
やがて地酒ブームが到来。新潟は、酒どころとして確固たる
地位を築いたが、それでも、越乃寒梅が身の丈以上に
増産されることはなかった。
旨い酒を造るため、「越乃寒梅」であり続けるために、
限界までこだわり抜いた結果だった。

そして現在に至るまで、その姿勢は変わらない。
当社二代目・省吾は、酒造りを、かつて自身が選手だった
ボート競技に例えた。
「見えないゴールに向かって懸命にオールを漕ぐ。酒造りも同じだ」
私たち石本酒造は、これからもそんな酒造りを続けて行く。
(石本酒造さんの情報を参照させていただきました。)


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