26話:新人時代、個性的な先生2-1

 その次に、三上診療所の田臥所長を思い出す。
 彼は、元日本海軍のエリート将校であった。
 まず、おしゃれである事、糊のきいた真っ白なYシャツと
 おしゃれな柄のネクタイ、きちんと折り目のついたズボンと、
 素敵なサスペンダーと、高価そうなメガネという、いでたちであった。
 物腰の柔らかい話し方で、じっくり相手の話を聞いてから、
答える姿は、男から見ても格好良かった。

 私が訪問して薬の説明をすると、当院に向いてる医薬品を
手短に説明しろと、説明時間を十分以内と言ってくるのであった。
 まさに合理的であった。田臥先生を接待する機会があり、
 その際に、面白い話を伺う事ができた。

 先生が、今は労働安全、安全第一となっているが、昔は製造している
船が第一であり人命は、その次だったと言うのである。

 その当時でも、仕事前に朝礼と、点呼を毎日していたそうである。
 そして帰る時も、点呼をするのが、決まりだったとの事であった。
 たまに、作業終了時の点呼で、数人足りない日があった様であった。
 作業の遅れには、厳しい会社であったが、点呼で人数が足りない時
 には、ある程度作業場を探すのだが、見つからなくても、
三十分位で切り上げて、帰ったそうである。
 そして数日後、重機の下敷きになってたり、ドックの水槽に
沈んでいる遺体が、発見される事があった様であった。
 その検死は、意外に簡単で、書類一枚書いて終わりだったそうである。
 作業員の多くは、田舎からの若手の独身男性や、出稼ぎ労働者が
多かった様で、いなくなっても、現在の様に、捜索願とか、大事には、
ならなかったとの事であった。

 その晩は、アルテリーベという、横浜でも老舗の洋食屋での接待で
あったが、そんな、生々しい話で、盛り上がっていたのであった。
 アルコールも入り、田臥先生が北島に、重機の下敷きの死体とか、
 大型船に挟まれた死体の様子などを、細かく教えてくれるのであった。

 看護婦さんたちは、特に気にせず、血のにじんだ、ミディアムレアの
ステーキを、おいしそうな笑顔で、食べていたのである。

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