108話:松本の友人達とのわかれ3

 

 また年も暮れて、また新年がやってきた。約十年の松本での転勤生活に、
ピリオドを打つ事ができた。
最後の担当交代の挨拶では印象に残った出来事が三つあった。
一つ目は大手医薬品・卸問屋の所長さんが、あなたの会社で初めて仲良し
になれ、やっとパイプができたと思ったのに、非常に残念だと言った。
 もう少しいてくれたら、お互いに、もっと大きな商売ができたのにと
言ってくれた。
 後任の所長さんにも良く言っておいてくれと言われた。
 その際、これは信州の硯、木曽川の天然石から掘り出したもんだが、
北島さんに記念品として送らせてもらうよと、上機嫌で手渡してくれた。

 

 二つ目は中信大学病院の医局の事務員さんとの別れの時、北島さんの
会社の前任の担当者は今まで医局事務員たちに、ちょっと会釈するだけで
先生の居場所を聞くだけだった。
 しかし北島さんは、もっと深く来るたびに情報を取っていったね。
 そんな事は大手メーカーしか、やってないのに、たいしたもんだねと
感心してくれていたそうだ。
 医局の事務員さんの、お茶飲み話になっていたと伝えられ、自分の行動
が的を得ていたんだと思い努力が報われた気がして、うれしかった。
 また旅行で松本に来た時は、ここへ顔出しなさいと笑って言ってくれた。
 女性は、よく見ているね、また敵に回すと、こんなに怖いものはない。
 味方にできて本当に良かった。みなさん、お世話になりました。

 三つ目は東京出身で新しもの好きの久光講師。
 彼はパソコン大好きな北島に興味を持ち、いろいろ、お互いに勉強し
合った仲だった。 
 久光先生は、ここでは珍しく純粋な男だった。別れ際に北島君は
久光先生が信州に来て毎日毎日、仕事に追われて忙しい日々を過ごして
いた時に来て、いろんな、すごい事を提案してくれたり相談に乗って
くれたりして、本当にありがとう。
 おかげで、この大学は医療界に電子化の先駆け的な病院になり
最近では大きな企業や他の大学病院、医療機関から問い合わせが多く、
世の中から注目される様になった。
 久光先生(東京の多摩出身)がいつか、もし東京に戻って病院に
就職したら、是非、来てくれよなと北島の手を固く握りしめてくれた。
 *その後、多摩の大きな病院
の部長で赴任した。
 これには、さすがの北島も目頭が熱くなって思わず涙がこぼれて
しまった。 人と人のつながりの大切さをしみじみと感じた出来事だった

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