小説、第3話:東京時代の仲良し先生との再会



第3話 東京時代の仲良し先生との再会

新潟赴任の1ヶ月後、毎年4月の中旬に、
私の担当のU病院では、人事異動となる。
今年も、若手ドクターが2人交代になるとの情報であった。

いつもの様に、病院の医局で10分待つと、
2人の新任のドクターが同時に入ってきた。
下田先生と、山井先生ではないか、東京時代に、
顔見知りの先生たちだった。
お互いに、顔を見合わせた。転勤で、
この地域を担当しますと、言うと、世間って、確かに狭いね。
こんなところで会うなんてと、下田先生が話してきた。
もう一人の山井先生が、東京でなんか問題おこして、
左遷じゃないの?と笑っていた。
2人とも、独身で、病院近くのアパートに住んでいるとの事。
面白い情報を持ってきてよと言われたので、
かしこまりましたと、
おどけて答えた。
先生方が医局で昼食、休憩後、仕事に戻るところで、
また、宜しくというと。
大丈夫、心配するな、協力するよと、好反応。

数日後、下田先生が、今晩、当直明けで、
どっか、旨いところで、夕食とりたいなと言った。
そこで、珍しいイタリアレストランを手配した。
下田先生が、今晩は、飲んで楽しみたいから、
車は、病院の駐車場において、
タクシーで行こうといってくれた。
少しして、薬局の春子さんと、下田先生が、
出てきて、3人で、タクシーに乗り込んだ。
薬局の春子さんには、たまに、挨拶する程度で、
顔を知ってるくらいであった。
大皿料理と、赤、白ワインと、プロシュ-トとサラダ、
とピザを注文した。
飲みながら、話がはずみ、下田先生が、春子さんに、
彼は、遊び人の営業マンだから、気をつけろよと言った。
私は、仕事と遊びは厳格にわけてますからと答えると。
彼女は、強調すればするほど、嘘っぽいわねと笑った。
下田先生は、付け加えて、彼は、結婚して子供いるんだよと。
私は、笑いながら、個人情報ですから、
口外しないで下さいと、にらんだ。
こんな感じで、楽しい時間が過ぎていった。

3時間後、彼女を送って、2次会へ向かった。と言っても、
今晩泊まるホテルの、スナックであるが・・・
再度、ビールで乾杯、いろんな話が出て、ところで、
北島君は、パソコン・オタクだったよなと言われ、
そーですがと答えた。
続けざまに、僕も、最近、学会の発表のために、
マック(マッキントッシュ)を買ったんだ。
今年の秋にも、学会発表するんで、手伝ってくれと言われた。
ただ、私は、富士通だから、というが、取り合ってくれず、
頼むよの一言。
結局、マックの勉強するることとなった。まず、
マックの本を買い、読んでみると、
マックは、富士通やNECの国産パソコンとは、
CPUも違うしOSも全く違う事が判明した。
とりあえず、3冊の本を読み終えた。下田先生が、
マックは、私の部屋に置いてあるので、
勝手に使っていいと。ソフトは、パワースエーション、
フォトショップも入っているから、
解説書も見ながら、勉強してくれと。

9月に入り、今年の学会資料は、9月25日までに、
提出だとの事。データを手伝ってもらい、助かったよ。 
原稿を合わせて、完成だと、喜んでくれた。
翌週、訪問してみると、日本語の大きさと、写真の大きさが、
上手く合わないだよ、どうしたいいかなと、困り顔であった。
そこで、今日も、先生の部屋で、修正することになった。
日本語フォントを、何回も、何回も、変えて、
何とか、文字揃えも、できた。

先生が午後の手術後、部屋へ戻ってきて、画面を見ると、
オーケー、見栄えもいいし、いいじゃんと。
フォントがいいから、パソコンに入れておくてと伝えた。
その他に、使えそうなフォントも、調べておいた。
ただ、私が、手伝った事は、絶対に、病院内で言わないで、
ほしい事を、強く言っておいた。
私は、下田先生のために協力したのであって、
他の先生には、協力する義理はないからと言ったのである。
まーそだよな、わかった、わかったとの反応であった。

下田先生の実家は、東京でも、繁盛している開業医のようで、
マックと、ディスプレー、プリンター、ソフトウェア含め
一式で百万円以上のセットを父親が買ってくれたとの事である。
この出来事の後、下田先生自身も、使い方をマスターしたようで、
1年後輩の山井先生にも、使い方を伝授していた。
こういう苦労の甲斐があって、この病院の売り上げは、
倍増したのは、言うまでもない。
ただ、この病院の先生方は、東京のK大と、地元の下越大学の
先生の人数が半々で、この事は、他の先生には、
知られないように、ふるまっていた。


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