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67話:病院のテニス倶楽部に参加2

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 苦戦している中信大学病院、松本、佐久を北島が担当した。  特に大学病院での情報収集と仲の良い先生を一人でも多くするために、 いろんなグループとつき合う様にした。  北島がパソコンの事で個人的に急に親しくなった久光講師は北島と 同じNEC9801を中心に使っていた。  久光先生は医療にコンピューターを利用する時代が きっと来ると 注目していた。  北島も横浜時代にデータベースというのが患者管理に使えると 言う論文も知っており、その情報を久光先生に話すと注目してくれ、 久光先生の部屋に出入りする様になった。  論文のコピーを渡し、米国で有名になっていたデーターベース Ⅲ の 本も数冊、貸してさしあげた。すると久光先生は、それを読んで、  これだ、これを利用して行こうと言った。  北島のデータベース Ⅲを使ったプログラムを見て、すごいねと言った。  久光先生の求めていたのは、これなんだよと非常に喜んでくれた。  医局全体でもカルテの電子化に動き出していて、 その中心人物が久光講師だった。  そして十月に会長を久光講師、事務局長を北島が担当する事で 中信大学メディカル・パソコン・クラブを設立した。  参加ドクターは若手中心で五人で始まった。  その後、このグループが当社の営業成績をグーンと 伸ばしてくれる原動力になってくれるのだった。

66話:病院のテニス倶楽部に参加1

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 週に二回は、中信大学病院の医局を訪問し、事務の女性に、  たまに手土産を持参し情報収集の活動を継続していた。  そこで個々のお医者さんの個性、趣味、強み、弱みを丹念に手帳に 書き込んで 一人一人に食い込んでいく様に活動した。  北島は昔、少しテニスをした経験があり医局の吉田講師が、 たまに医局の若手や 看護婦と松本市内の屋内テニスコートでテニスを 楽しんでいるという情報を 得て参加したいとを話すと、 いいよとの返事が返ってきた。  ちょうどコートを予約したりメンバーの出欠を取る人が欲しいと 思っていた ので、大歓迎だと言われた。  そこで週に一~二回、参加する様になった。  そして、月に一回、テニス大会を開き商品は各自持ち寄りとした。  その中で豪華なものを順に、優勝、準優勝、三位の商品としたのだ。  大会終了後は有志で、ゆかりママの店で祝賀会をするのが 恒例となっていった。  ただ、その際に交際費を使うのではなく、ジャパン製薬のウイスキー、 焼酎ボトルの飲み放題サービスをするだけにしたのだ。  そしてテニスクラブの先生方の強いサポートで業績も順調に伸びてきた。  翌日の朝、電話で北島に松本に優秀な後輩が一人増員になる との連絡が入り 少し楽になると感じ内心喜んでいた。  夏に待望の一年下の後輩の吉永君が大阪から赴任してきた。  これで長野県は四人 で全県を担当する様になった。  吉永君に北信地区と上田を担当してもらい市場規模 の大きい長野市周辺 を清水君に担当してもらう事にした。  もちろんスナック中町の はるみママの店で歓迎会を開いた。  その席で北島の方から長野県に数年後、営業所 をもてる様に 頑張っていこうと話し全員で乾杯した。  全員が、その意見に賛同してくれ、はるみママも 頑張ってねと 言ってくれた。  これは、あくまでも個人的な考えだが長野市など北信地区は新潟に 近く県内 では、よそ者に対して比較的寛容で商売がしやすいと予想した。  その予想通り北信地区にいち早く増員して北信、長野市内の 業績が 長野全県の売上をリードしていった。

65話:英会話教室での出来事4

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 ゆかりママが何だそれで決まりね、北島さん、はるみママを宜しくね。  ご贔屓にして、この店を使って下さいねと笑って言った。  はるみママは、ゆかりママに、お客さんを紹介して 本当にありがとうねと、お礼を言った。  はるみママの話では最初ここは競合店も少ないし交通の便も良く人通りも多いので繁盛するかと思って店を始めたが人の流れが多い割に、 お客さんが少なかった様だ。  駅前の居酒屋、スナックに流れたり仕事の接待関係は会社の 事務所の多い一番街の有名な店に集まって、お客さんが少なくて 困まり果てていたと言った。  この状態が、あと半年、一年したら店をたたもうと思っていたそうだ。    それを聞いていた清水さんが地方の都市って封建的だからね、 新しいエリアが、なかなか繁盛しないんだ。  それにしても、はるみママは苦労したんだね。  清水さんが、ここにも今後、顔出すよと言った。  ゆかりママは笑いながら、あまり浮気しちゃ駄目よと言った。  北島が業績を伸ばして、この地に営業所を設立したいと思って いるので宜しくと、はるみママに挨拶した。  彼女は責任重大ね、できるだけ協力するからねと言ってくれ。  早速、北島が会社名のボトルと個人名のボトルをキープした。  また近いうちに会社のメンバーと一緒に飲みに来ますと告げて 精算して帰った。  その後テニスを通じて大学の先生と仲良くなり、 この店を何回も使う事になるのだった。  人の出会いって本当に大切なんだなと再確認する北島だった。

64話:英会話教室での出来事3

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   そんな話をしていると君島先生が、ちゃっかりと聖子さんと牛島さん の席の間に入り込んで、うれしそうに話し込んでいた。  その後、君島先生がイーグルスの、デスペラード、ホテル・カリフォルニア、ビートルズのレット・イットビー、サイモントガーファンクルの 曲を立て続けに歌いまくった。  特に独身、女子銀行員の聖子さんが、その姿をうっとりと見ている のがとてもほほえましかった。  やがて、お開きになった時ここのママが、ちょっと待ってと言った。  少しすると後は店の子に頼んだから紹介した店に一緒に行こうと言った。  清水さんが面白そうだから、ついて行って良いか聞くので、 ええ、もちろんと答えた。  タクシーで5分で駅前と一番の繁華街の中間の所の商店街の中に スナック中町があった。  ゆかりママが今晩は新しいお客さんを連れてきたわよと北島を 紹介してくれた。お客さんは一組だけで離れた席で話する事にした。  まず最初にジャパン製薬の北島ですと挨拶した。  薬屋さんですかと聞かれ、そうですと答えた。  中信大学にも行ってるのと聞かれ、ええと答えると、はるみママが 大学のA教授の奥さんと、お友達なのよと教えてくれた。  A教授はテニスやゴルフがうまく運動神経抜群なのよと話してくれた。  その奥さんもテニスの国体選手だったと教えてくれた。  彼女も仲間で一緒に国体に出たと言うのだ。  でも、はるみママは肘を痛めて今は遊びで、たまにやる程度だと 言っていた。  北島が、実は、その科が当社にとって一番のお得意さんなのだ とい言うと、それなら話は早いと驚いていた。  ただ中信大学病院の先生が来る事は、めったに来ないけどねと 笑っていた。

63話:英会話教室での出来事2

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   場所は駅近くの料金の安い地下の居酒屋が多かった。  外人の先生は稀に来る程度でお酒に弱い様だった。  良く参加するのは元商社マン・清水さん、女子銀行員さん・聖子さんと 北島だった。  新年会、忘年会、納涼会、お花見、歓送迎会と、ほとんど毎週出かけた。  ある時の飲み会に何と違うクラスの中信大学病院の君島先生が 来る事になった。  彼は、みんなに自己紹介し会釈して席についた。  北島が彼に仕事の話は内緒と軽く耳打ちした。  その店は清水さんの知ってるスナックでカラオケもあり、 少し 踊れるスペースもあった。  メンバーは女子大生以外は全員来た。  全員で五名、清水さんは、いろんな酒のうんちくを語っていた。    すると牛島さんと聖子さんは流行歌を歌い始めた。   最初はビールで乾杯その後は清水さんのキープしているウイスキー、 焼酎は飲み放題だと言ってく、北島は清水さんに、お礼を言って ウイスキーを飲み始めた。  そして仕事の関係で今年から松本中心に仕事するんですが 素敵なママのいるスナックを紹介して欲しいと話しかけた。  清水さんに業種を聞かれ医薬品メーカーというと安っぽい所は、 だめだよね。  ちょっと難しいねと言い、この店のママにでも聞いてみたらと言われた。  そこでママに手が空いたら来て欲しいと伝え、 少ししてママが来てゆかりですと挨拶してきた。  さっきの話を清水さんがしてくれ、安っぽくなくて、 それでいて同業者があまり来ない店ね。  ちょと待ってノートを持ってくるからと言った。  一番にぎやかな通りでは同業者が多いからダメ。  ちょっと離れて駅にも近くタクシーも捕まる所、はるみちゃんの店が 良いかもしれないと言ってくれた。    そして実務的な話になってツケ払いですかと聞かれ現金かカード払い というと、それならいいわと言い早速電話してくれた。 そして名刺を渡しておいた。

62話:英会話教室での出来事1

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  春に松本に来て一年が過ぎて、やっと慣れた頃、中信大学で若手の 君島先生が英語で文献を書いたり海外の学会の為に英語を習って いるというのを小耳に挟んだ。  北島も英語は好きで小さい頃、牧師の息子と遊び回った記憶が 思い出された。  そこで、また英会話を習ってみたいと思い駅前のGOSを見に行った。  若い人特に女性が多く華やかな感じだった。  ビルも新しく景色も良かった。そのため早速、入学の資料をもらった。  会社の仲間に週に一回通う事を話したら至急の時に連絡を取れる様に してくれれば良いですよと言われた。  そこで来月から行く事し、仕事が比較的暇な木曜日の夜、 七時から八時のコースにした。  もし都合が悪い場合、その後、三ヶ月以内に振り替えも可能で 便利だった。 最初にクラスを分けのテストを受けAクラスに入った。  メンバーは五人で銀行の勤めの女性・聖子さん、女子大生・さゆりさん、元商社マン・清水さんとTOEIC大好き三十代後半の主婦・牛島さんと北島だった。 最初は緊張して、しっかり勉強していたが、しかし時間が達つと慣れてきたせいか飲み会が多くなり月一回位のペースで参加した。

61話:松本で借家を探す2

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  大型のファンヒーターを一台買い家へ持ってきた。   大家さんが来てくれ家の風呂トイレ、その他の使い方を教えてくれた。  翌朝は冷え込んで朝起きてダイニングキッチンで料理を はじめた女房が寒い寒いの連発だった。  ファンヒーターをそばに置いても足だけ熱いが上半身が寒いと 厚手のセーターを着て、何とか寒さをしのいだ。  昨晩も寒く特に早朝は新潟より確実に寒い気がする。  そこで翌日からファンヒーターを二台、女房の左右に置いて稼働した。  これでやっと早く部屋全体が暖まる様になった。  しかし十二畳ほどのダイニングキッチンに冬場は全員集合 という事になりそうだった。  そこでテレビも移動し、広い五LDKの借家を借りた意味がない。 寝室とダイニングキッチンで過ごす事になりそうだ。 引越が完了して小学校と幼稚園の手配を終えた。

60話:松本で借家を探す1

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 転勤のため松本での借家捜しを始めたが、なかなか大きい家が 見つからず困っていた。     三DK以上で倉庫があって中信大学から近い物件を希望していた。  ここ松本では二DKマンション迄の物件が多い様だ。  当社担当の不動産屋さんに良い物件があれば電話して くれる様に手配した。  数日後、電話があり酒屋さん息子さんの家が息子さんが マンションに移るので大きな貸家が出そうだと言ってきた。  二階建て五LDK築二十五年、屋内ガレージつきで家賃月に十万 円。  今日午後三時に、その借家を見にいった。  そこへ着くと中信大学病院まで徒歩十~十五分と理想的な所で 家の大きさも十分。  翌日大家さんと面会して挨拶し会社契約で屋外の駐車場込みで月、 十一万円で借りる契約を結んだ。  引越は一ヶ月後と言う事で決定。  ただダイニングキッチンが北側で寒いのが難点だが、 その他は問題なしだった。  五月初め八トン車一台で引越してきた。  家族はパジェロで近くの温泉宿に泊まり翌日、 北島と女房で荷物の搬入の指示をした。  一日がかりで家財の搬入が終わった 。

59話:長野県松本市への転勤2

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   また仕事する上で長野が新潟と違う点は、よそ者に対して 厳しいと 聞いた。  それは、その後仕事をする上で非常にやっかいな問題として のしかかってくる事になる。  考えてみると新潟は長い間、上杉家が治めており戦も 新潟県内では少なかった様だ。  そのためか人を信用してくれるやさしい気風があった様に思える。  対して長野県は川中島の戦いで御存知の通り越後の上杉と甲斐の 武田の激しい闘いが続き、よそ者を信用しない気質になった様だ。  うかつに信用して裏切られた歴史があるのではないかと推測する。  言い訳の様に聞こえるかもしれないが市場開拓に時間がかかる原因の 様に思えてしかたがない。  また長野から大学病院のある松本に移動する時に感じたのだが 筑北村から明科トンネル当たりで日本海側の気候から太平洋側の 気候に変わる様な気がする。  それというのは冬場、長野方面から明科を過ぎると、 寒いけれど雪が少なくなる。  トンネルを過ぎると、そこは雪国だった、あの情景に似ている。

58話:長野県松本市への転勤1

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 新潟から長野県松本市への転勤の社命が出てから担当交代の方法 について具体的な検討を始めた。  その結果、県境に近い十日町で夕方の仕事を終えて、その日のうちに 長野県飯山市へ入り宿泊し翌朝、長野経由で松本へ移動して 担当交代をする事にした。  若いからできる事で仕事を終えての移動は強行軍だ。  四月初旬に担当交代が始まり走行距離一万キロを超える月が増えてきた。 長野県は、一年先輩の南信担当の吉川君と、三年後輩の北信地区 担当の清水君と北島の三人。  長野県での北島の担当地区は松本市を中心に上田、佐久と山間部を担当。  最初、長野の冬は新潟に似ており安心した。しかし、 いくつか違う点も あった。新潟では地下水をくみ上げて融雪パイプを通して流していたが、 長野県内ではそれは見られなかった。多分、気温が低くて、凍ってしまうのだろうと推測できた。  長野では旨いそば屋が多くリンゴをはじめ、ぶどう、もも、なし、 など果物がおいしかった。 それに高原や湖、観光地も多く温泉もあり非常に良かった。